川村 みきをのメモ帳

日々のアウトプットをメモっています。

誰にでもあてはまることCR050

『自分の都合を満たす為』に、『自分の欲を満たす為』に、気持ちの奥底で何かが、

「ダメだ」「やっちゃいけない」「やってしまうと私自身が壊れる」とサインを出している事を、
それが例えどんなにちっぽけな事でも、無視してやってしまうとその瞬間からゆっくり時間をかけてじわりじわり、心が色褪せていく。

 

つまり越えてはいけない一線を越えると、何かが音を立てて崩れ始める。


そうすると次に同じような場面が現れてもそれを越えることが平気になってしまうのだ。


そうして人は少しずつ目減りして、やがて【感受性】も【知性】も朽ち果ててしまうのだ。


そうして出来上がった人はただ、【反応性】だけで生きている人だ。


【反応性】だけで生きている人の、嬉しいや悲しいは他の誰かが嬉しいと言っているから、他の誰かが悲しいと言っているから、だから私もそう感じる、というのが基点にある。


そんな他人の感情を自分自身の感情に置き換えて感情を表現している。


「慣れあい」という言葉がそこには似合う。


「勉強だるいよね~」と誰かが感じて、そういう事を聞くとそんな気になる。

「お腹減ったぁ~」と誰かが感じて、そういう事を聞くとそんな気になる。

「めんどくさい」と誰かが感じて、そういう事を聞くとそんな気になる。


【反応性】だけで生きている人は自身の感情に意識を向けられないから、自分自身がどう思っているかを知らない。


何故?向けられないか?それは、


「ダメだ」
「やっちゃいけない」
「やってしまうと私自身が壊れる」


とサインを出している自分自身を無視したその瞬間からもう自分自身の事を愛せなくなってしまっているからだ。

そんな愛せない自分自身の意識など人は見たくないのだ。
嫌いな人には会いたくないという心理が働くのと同じ原理だ。


人にお世話になっても、他人が嫌な思いをするかもしれないと思っても、気にせずに自分自身の都合と欲で実行出来てしまう。


それは自身の【反応性】に従っただけで何も感じていない考えていないから何でも出来てしまう。

恐怖や痛みを避け、欲と快楽を求めるのが、【反応性】の原動力だ。


【反応性】だけで生きている人にどんなに高貴な説法を説いても夢を語っても、愛を注いでもまるで届かない。

「この人何熱くなってるの!?」

「うっとおしいなぁ・・・」

「もしかして私に気があるのかな?」

そんな事を思われるだけだろう。


わたし自身も【反応性】だけで生きている時間が長かった時に様々な人から、今思えば、もの凄くありがたいコトバをいただいたり、夢を語ってもらったり、信じられない程の愛を注いでもらった。


でも、【反応性】だけで生きていた時はそれらの働きかけに対して、

「すごいなぁ・・・熱いなぁ・・・」

「ありがたいけどどうしたらいいかな?」

「わたしの事を騙そうとしているのかな?」
とかそんな心無い事ばかり思った。


そしてそういった働きかけをしてくれる人を自ら遠ざけていき、孤独に陥りそして、同じ【反応性】だけで生きている人とつるんで、社会の会社の他人の悪口や、芸能人がどうとか、女の子がどうとか、新しいお店が出来たとか、割のいい仕事があるとかそんなクソみたいな話題で生きてきた。


だけどそんな生き方をしていても、満たされることは無いし、時々もの凄く自己嫌悪に陥ることがあった。

努めてポジティブでいようとして必死になってネガティブと戦った。

そんな事を繰り返すうちにどんどん自分自身が色褪せていくのを感じた。


わたしはMAさんみたいに真面目でも無く根気も無かった。

MAさんは秋田県の出身で、意志が強く粘りがあって受験勉強も必死でやっていたそうだ。

これがわたしとMAさんの大きな違いだったのかもしれない。


MAさんは『生活費を得る事』のために歯を食いしばってハンバーガーショップで来る日も来る日も作業を続けてきたが、

わたしはカラオケ店のアルバイトも直ぐに飽きて別のカラオケ店に移った。旅行の添乗員も他の幾つかの派遣会社に登録して何とか続けていたが、それらも2年ともたなかった。

その時は「何も続けらないダメな奴だな」とスーパー劣等感を抱いた。


MAさんもわたしもそうだったが、2009年2010年当時に一緒にやっていたsbccのクリエイターのみんなも同じような経験をしていたし、sbccのクライアントに話を聴いても同じような境遇の方が本当に多いと感じた。


多分、この時代誰にでもこういった状況に陥る可能性は十分にあるんだろうな。