川村 みきをのメモ帳

日々のアウトプットをメモっています。

井の中の蛙CR075

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覚悟を決めても進まない・進めない。
気持ちが盛り上がっただけで続かない。

やっている事はhave to?want to?
そもそも何の為に何をどうやるの?

その答えは知りたいようで知りたくない。
今の価値観をDelite・削除したくないから。

【見て見ないフリ】でやり過ごし、
やがてニッチもサッチもいかなくなる。

自身をアップグレードしようと、
今やっている事をガムシャラにこなす。

もっともらしい理由を並べ立て人に、
そして自分自身に言い聞かせて。

だけど、結局その行為は目の前の機会から
逃げ出す自分自身を正当化した行為。


そしてそんな状態はとても脆く、
誰かの一言で簡単に崩れ去ってしまった。


そしてわたしが選択したのは、
【立っている場所を変える】ということ。

【立っている場所を変える】こと自体は、
これまでも幾度となくやってきた。
それは、大阪から東京に出てくる。
といった物理的な立場を変えたし、
職種・職業を変えるといった行動的な
立場を変えたりもした。


でも、それらは全てにおいてその時々で
【出来る範囲内】でやってきたこと。


この【出来る範囲内での立っている場所を
変える】という事は結局少し視点がずれた
だけで見えている景色は何も変わらない。

だから、目の前にあった機会はどんどん
大きくなってずっと目の前に立ち塞がって
しまったのだ。


そもそも今、立っている場所を選んだその
元となっている価値観そのものが25歳の
わたしよりもう何年も前のわたし自身の幼い
価値観で決めたわけで、その選択が今とな
っては既に古くなっている可能性の方が高い。


だから目の前の機会を活かせずにそして、
逃げ出せもせずにもがいていたのだ。


それならその元となっている価値観、
それ自体を入れ替えないとこの先の
未来は描けないのではないのか?

25歳のわたしは漠然とそんな事を考えていた。

そして取った行動が、アメリカに行くだ。

これは物理的にも行動的にも大きく変わる。
これまでの文化がそっくり入れ替わる、
ということだ。

この時は何の根拠もなくそんな事を思って
行動した。

その時いつも考えていたのが、

「あと10年も生きられないとしたら、
このままの状態で10年間生き続けるか?」

ということ。

わたしの答えは明確な[ NO! ]だったので、
いろいろな助言や人間関係のしがらみや、
お金の問題や住んでいる所の事や言葉の
問題など様々な問題があったが、

一番は自分の人生なので迷いはなかった。

そして、1997年1月4日にアメリカに旅立ち、
ロサンゼルスのチャイニーズシアター
近くのアパートメントで共同生活を始めた。

そこから日本から行った皆で、家を建てる
ことを学ぶ為に地下鉄と路面電車で学校に
通う。

この渡米のGOALは「ホームレスの為に
家を建てること」だからだ。


そしてここでわたしは直ぐに大きなショック
を受けた。


まず、英語が本当に分からない。
ロサンゼルスの学校の先生は建築の先生
なので話す言葉は当然英語それも早口。

次に困惑したのは食べるもの。
現在は日本食がブームでロサンゼルスにも
日本食のお店が立ち並び手軽に安く日本食
が食べられるが1997年のロサンゼルスには
日本食のお店はあまりなく当然、スーパー
での買い物もアメリカの食文化が軸だ。

そして気候にはまいった。

アメリカのカリフォルニアの1月の気候は、
昼が暖かく(暑いくらい)夜がとても寒い。

そして持ち物や服装の問題。
日本で普通に着ていたコートをアメリカで
着ていてアメリカ人から言われたことが、

「そんなのダウンタウンに着ていくと、
直ぐに身包みはがされるよ!」

ということ。

これだけでも多大なストレスになった。

そこに追い討ちをかけるように文化の壁。

とても勉強してボランティアどころでは
なかった。

身体が心が新しい環境に全く適合出来ない。

それだけ25歳になるまでわたしは生きてきた
これまでの環境にどっぷり浸かりすぎて、
身体も心もカチコチになっていたのが露呈
した。

一言で言えばそれは『依存していた。』


親に先生に会社に豊かな社会の環境に国に
わたしは25年間依存しっぱなしで生きてきた。


神戸から大阪に出て、そして東京に出ても、
結局はどこかで親にそして会社に、そして、
親やおじいちゃんおばぁちゃんの世代が、
必死になって働いてくれて創ってくれた
この豊かな日本という国の環境に依存して
ずっと生きてきたんだ。

そして依存しきったそんなだらけた価値観
じゃいい発想も何も出てくるはずがない。


身体が精神がなまって腐りかけていた。


「ホームレスの為に家を建てる」という、
このプロジェクトを通じてアメリカで垣間
見た世界はあまりにも未知な世界だった。


完全に打ちのめされてしまった。


まさに【井の中の蛙】だった。


井の中の蛙が大海に出てその広さを知った。

 

 

 


to be continued