川村 みきをのメモ帳

日々のアウトプットをメモっています。

質問されるということCR081

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親に先生に会社に豊かな社会の環境に国に
依存しきった価値観でこれまでを組み立て
てきた【井の中の蛙】だったということを
痛感したわたしは【依存しきった価値観】を
打ち壊す為に渡米したが、すぐに強制送還
されてしまう。

このままこの先ずっとLoser(負け犬)と
して生きていく選択したくはなかったわたし
は再度渡米する。

新しい行き先はアメリカのテキサス州
キングスビルという片田舎の街にある大学。

そこで出会ったのはバングラデシュという
国からきたムハタグさんというわたしと同じ
年齢の青年。

1日の生活費が2ドル(約240円)という国
で暮らしてきた彼は一日一食がギリギリで
使っている道具も粗悪品だった。それでも、
国の為に村の為に必死で勉強をしていた。

そして日本の事に興味を抱いた彼から、
わたしは日々質問攻めに合う。

しかし、わたしは英語力の問題の前に
コミュニケーションが取れなかった。


その時、25歳のわたしは日本の事も世界の事もそして
自分自身の事についてもほとんど何も答え
られなかった。


これはショックだった。


これほどまでに自分自身について何も
答えられないとは…これまでの人生で
得てきた事や考えて決断した事、辛かった
事、嬉しかった事そしてそこから得たもの
や思想などがまるで思い浮かばない。

それだけその場その場の思いつきやただ、
流されるままに生きてきたんだと感じた。


『何故?アメリカに来たの?』という単純
な【質問】の答えが言えなかった。

ムハタグさんの壮絶な『回答』を聞いた後
にわたしが「ダメな自分を変えるため」とか
言えないし、何か違うとも感じていた。


つまり自身の答えに確信が持てないのだ。


他の国の友人からも違った【質問】を受け
たが、ちゃんと答えられないから、
いつもメモを取ってじっくり考えていた。


最初の頃はずいぶんと落ち込んだ。


「自分には何もないんだな・・・」


それでも学校の授業ではお互いの国の事
について英語でプレゼンテーションをして、
その後で他のクラスメイトが個々に
【質問】を投げかけてくるというのがある。

カフェテリアに行けば様々な国の人達が、
コミュニケーションを取ってきてくれて、
お互いの国や育った環境や価値観について
語り合う。

考えてみればそれは当然の流れなんだろう。

みんな世界中から公用語の英語を学ぶ為に
渡米して他の国々の文化や価値観を交換
し合うというのがこの大学の主たる目的
なんだから。


【質問】を受けて『答え』を探す日々。


この時にわたしの中で【質問】の『答え』
を探すという新しい思考回路が創られた。


最初の頃は気の利いた答えやカッコいい
答えなどを意識したが何を言っても
相手の反応が薄い。

あの情熱の国のスペイン人ですら薄い。

途中で何を言ってもこんなに反応が
薄いのはきっと英語力が無いからだ。

どうせ伝わらないんだ、だったら『答え』
を考えるんじゃなくて出来る限り絞り出し
てありのままを答えよう。

どうせここはアメリカだ、何も恥ずかしい
事なんてない。


日本での失敗談はここに置いていこう!


そう思ってわたしはテキサスに来る前に
ロサンゼルスにボランティアで行って、
わずか1ヶ月足らずで強制送還されたこと、

関西から東京に出てきて旅行の仕事に
就こうと大学まで行ったが何か違和感を
感じて悶々とした日々を過ごしたこと、

大学では英文学科を選択していて英語には
自信があったのにまるで通じない英話しか
話せない自分自身に落ち込んだこと、

カフェテラスのビュッフェの主食がマメか
パンなのにどうしても馴染めず毎日、この
マメを米に見立ててわざと小さなマメばか
りを選んでお皿ではなくスープカップ
よそって日本のご飯みたくして食べている
ということ

など拙い英語で必死になって喋った。

すると不思議なことに相手の反応が変わっ
たのだ。

これまで「ふーん」と首を傾げてたのが、
「ふんふん」とわたしの話を聴いてくれる
ようになった。

そしてまた更なる【質問】をくれた。

そしてわたしは思ったまま、感じたままの
わたしに取って真実を『答え』として相手に
伝えた。

いつしかそういったコミュニケーションが
普通になっていった。

 

 

 

to be continued