川村 みきをのメモ帳

日々のアウトプットをメモっています。

時代と価値観の移り変わりCR030

『時代が変わった・・・』

こういわれて久しい。

2008年頃からそんな感じがしてた。

そしてこれまでの価値観でははかり知ることが出来ない事が起こって、誰もが『時代が変わった・・・』と感じた。

例えば【魔法の鏡】の出現だ。

その【魔法の鏡】に向かって、「日本で一番高い山は?」と聞けば、すぐに富士山の姿が現れる。

先日友人が食べたお昼ご飯が分かる。

この【魔法の鏡】を指で叩けば、文字が浮かび上がり、手紙が書ける。その書いた手紙を一瞬で地球の裏側の友人に届けることだって出来る。

iPadと呼ばれるこの【魔法の鏡】は、世界中の人と一瞬の内につながる。

さらにコンパクトなiPhoneと呼ばれる【魔法の鏡】に向かって『ラーメン』とつぶやけば、今いる近くのラーメン屋さんを[Siri]というアプリが言葉で案内してくれる。

この【魔法の鏡】が登場するまでの長い間にわたし達は、人やモノから様々な働きかけを受けて、【反応性】だけで生きるようになっていた。

そしてそれでも何とか生きてこれた。

でも、そんな【反応性】だけで生きている人が作る作品やアイテムに心を動かされる人は誰もいなかった。だから多くの人がスキルを 身につけて情報を仕入れてこれでもかっ!というほどに頭でっかちになった。

何故なら【反応性】だけで生きている人の周りには【反応性】だけで生きている人がいるからお互いが何かの働きかけを待っている状態が永遠と続いている。

だから、【反応性】だけで生きている人が作った作品を誰かが「いいね」と評価すると、周りにいる【反応性】だけで生きている人達がそれに習って自身の意志とは無関係に評価する。

だから【反応性】だけで生きている人はいつも誰かの評価を求めている。 誰かに「いいね」と言ってもらわないと自身の存在価値が見出せないと思っている。

これは、作品やアイテムが評価されたのではなく、ただ回りが反応しただけだということ。 多くの【反応性】だけで生きている人がこの事に気づかずにさらにスキルをつけ、情報を仕入れている。

まったくそれは虚しいことだ。

facebookを創ったマーク・ザッカーバーグは【感受性】を持ち生きる人だ。 そして世界に多数いる【反応性】だけで生きている人の性質を実によく感じとった。

マーク・ザッカーバーグハーバード大学に在学中にfacebookを創っている全く同じ頃に別の場所ではスティーブ・ジョブズiPhoneを創った。

わたしはiPhoneを創ったスティーブ・ジョブズの意図をずっと考えている。

それは、スティーブ・ジョブズは大多数の【反応性】だけで生きている人の中に眠る、【知性】や【感受性】の種を育もうとしているんじゃないかなと。

それは、どんどん機械が進化して、モノが溢れ世の中が便利になっているのに、人の心は荒み、どうみても今の世の中、幸せじゃない人の方が多い気がする。

これってどう考えてもおかしい。

機械が進化すれば、便利になれば、人は幸せになれるはずだと信じて先人達はいろいろ創ったのではないだろうか?

でも、結果は【反応性】だけで生きている人を大量に生み出している。 そして世界中の多くの人が未来に不安を抱いたまま日々の暮らしを送っている。

先人達が生み出した今ある様々な文化の上にわたし達はあぐらをかいてボーッとしている場合じゃないだろう。

だからスティーブ・ジョブズは、自らが働きかけていかないと扱えないアイテムを世に送り出したんだろう。

そして世界中の人々に受け入れられた事は説明するまでもないだろう。

【反応性】だけで生きる 【知性】を持ち生きる 【感受性】を持ち生きる

どんな生き方も自由だ。

オーストラリアにBronnie Wareさんという人生最後の時を過ごす患者達の緩和ケアに長年携わった看護師の方がいる。

彼女によると、例外なくすべての人は、死ぬ直前にしっかり人生を振り返るそうだ。

そして後悔を口にする人が本当に多いとも言っている。

人生最後の時に口にする後悔の中で最も多かったのが下記の5つだそうだ。

 

1.「他人に望まれるように」ではなく、「自分らしく生きればよかった」という後悔。

2.「あんなに一生懸命に働かなくてもよかった」という後悔。

3.「もっと自分の気持ちを表す勇気を持てばよかった」という後悔。

4.「人との関係を自分の勝手で断ち切らなければよかった」という後悔。

5.「自分自身をもっと幸せにしてあげればよかった」という後悔。

 

【反応性】だけで生きるも、 【知性】を持ち生きるも、 【感受性】を持ち生きるも、

わたし達は選択することが出来る。

何故ならわたし達は生まれた時には誰もが【感受性】を持ち生まれてきた。

楽しいから笑い、悲しいから泣いた。

大人の気配を感じとり泣いたり笑ったりして自身の源から出てくる感情を表現した。

そういった【感受性】をいつの間にか、わたし達は忘れてしまった。

忘れさせられてしまったのかな。

そして気づいたら、他人の評価を請い、働きかけられるのを待ち、私利の心で自身の快を求め【反応性】だけで生きる人になってしまった。

そんな人が世界に溢れ、この世界に生きる事が息苦しくなった。

そして世界の秩序が崩れ、混沌としたカオスの時代に入った。

こんな時代のうねりの時期は、これまで考えられないような出来事が起こる。

そんな時代にただ【反応性】で生き、起こる出来事に反応しまくって怒り泣いて悶々としている場合じゃないだろう。

生き方は選択出来る。

 

さぁ、今日はどんな生き方をしようか。