川村 みきをのメモ帳

日々のアウトプットをメモっています。

コンセプトCR090

f:id:kmikiwo:20210626130031p:plain

 2011年8月にsbccの制作が完全に止まった。

この時すでに、スタート時のメンバーは
それぞれのGOALに向かって新たな道を
歩み出していた。

そして残ったメンバーで何とか制作を
続けては来た。
しかしメンバーは頑張っていたが、
作品自体のクオリティは以前と比べると
格段に下がってしまっていた。


イラスト自体のクオリティも悪くは無い。
デザイン自体のクオリティも悪くは無い。

だけど、まるで【心】が入っていなかった。

クライアントと深くコミュニケーションを
取っていきクライアントやsbccの意図を
深く知ろうとせずにただ技術とテクニック
だけで制作してた。

だから、上手なんだけど、綺麗なイラスト
なんだけど、何ていうか[味]がないのだ。

見ていても何の思いも伝わってこない。

わたしも何とか新しいメンバーで制作を続け
ていけないかなと思ったがここが限界だと
感じて、sbccのWebサイトを閉鎖した。


それが2011年の8月の事。


そこからわたしのクリエイター探しが始まる。

知り合いのフリーのイラストレーターに
いろいろ紹介してもらい人に会った。

自身でもイラスト展などのイベントに
積極的に顔を出した。ピクシブでも、
コンタクトを取っていった。

そして何人かのイラストレーターに出会う
ことになるが、皆さん絵は上手い、とても。

でも、ただそれだけだ。

sbccの主旨をお話しているのだが、
クライアントの事をまるで知ろうとせずに
勝手に制作を進めてしまっている。

そして出来上がったsbccは普通のイラスト
が描かれた綺麗なデザイン名刺だった。

その後も、イラストスクールと提携して、
スクールの学生さんの課題としてsbccの
制作に取り組んでもらう。

皆さん、絵は上手いがやっぱりそれだけだ。

この1年半の間、ずっと探して来たが、
まだ本当のsbccを制作出来るクリエイター
には出会う事が出来ていない。

これまで制作してもらったのは、綺麗な
だけのイラスト名刺・デザイン名刺だ。

それは、sbccではない。


1年半探しても見つからないということは、
これは何かが間違っているということ。

つまりわたしのアプローチの方法が悪いか、
探す場所が間違っているか、それとも何か
他の要因があるのか?


この秋から年末にかけて、わたしはずっと、
sbccの根幹に目を向けていた。

ちゃんとsbccの事を伝えられたという
自信がわたしにはあまり無かったからだ。

だからsbccの根幹のコンセプトを
固めることに没頭してきた。


そして12月に入りやっと固まったsbccの
コンセプトをここでお伝えする。


sbccのコンセプトは、


【イマジンのようなコンテンツの制作】だ。


イマジン[Imagine]とは1971年に発表され、
今も世界中で支持されているJohn Lennon
の名曲で世界平和を願う歌の代表的な曲だ。


では何故?世界平和を願う歌の代表的な曲
なのにそのタイトルが、Peace[平和]や、
No war[戦争がないこと ]ではなく、

Imagine[想像してごらん]なんだろうか?

『世界平和』は誰もが願うこと。

しかし、『世界平和』の実現には具体的な
概念が欠かせない。

つまり何がどうなれば『世界平和』なのか
をハッキリさせておく必要がある。

日本人のおばぁちゃんは念仏を唱えれば、
世界は平和になると信じている人がいる。

だけど、おばぁちゃんが念仏を唱えても
世界はまだ平和になっていない。

世界を平和にするには、ただ願うだけでは
なく、考え方や思想を広めて世界中が納得
するコンセプトがいる。

しかしそれは容易ではない。

例えば、アメリカの軍隊で働く軍人の一人
が想像する『世界平和』は紛争地帯を武力
で鎮圧することだったりする。

将来は科学者になって、より高性能の爆弾
を開発して、ユダヤ人を殺すことが
『世界平和』だと思っているパレスチナ
の子供だっている。

女性に教育を与えない女性の権利を奪う
ことこそ国の平和につながると考える政権
だってこの世界にはある。

新宿駅の高架下で暮らすホームレスの
おっちゃんは今日の飯にありつけたら、
もう世界は平和だと言っている。


【平和】という世界共通のこの価値観も
人や国や時代背景によって様々だという
ことをわたし達は理解出来る。


だからこれだけ多くの人々が世界の平和を
願ってもまだ世界は平和だと思っていない
人がこんなに多い。

だから、Imagine[想像してごらん]なんだ。

John Lennonが創ったこの、
Imagine[想像してごらん]という曲は、
世界の平和はそれぞれの心の中で想像
出来る・・・それが世界の平和なんだよ。

というメッセージを発信している。

平和を心に浮かべる時、日本でいじめに
苦しむ少年と内戦状態にある国の少女と
ヘッジ・ファンドの大物マネージャーでは
その平和のイメージはまるで違うだろう。

しかし誰もが、自分なりの平和を想像する
ことが出来る。

それが、このJohn Lennonの曲である、
Imagine[想像してごらん]のコンセプトだ。


sbccはこの世界平和を『人の才能』に
置き換えて、一人一人が自身の才能に
気づきそして生きていけるコンテンツを
制作していく。

『才能』というのは人それぞれ違う。

それなのにこの社会は社会の都合が優先
され、多くの人が才能を活かした事で
生きていないように思う。

労働ひとつ見てもやりたいのか、それとも
やりたくないのかわからない仕事に就いて
いる人が本当に多い。

そんな事を続けていればせっかくの才能
は死んでしまう。

だから、そうなってしまう前にまずは
自身の本当の才能に気づきそれを伸ばして
いく努力をするのが正しいやり方だと思う。


sbccはそんな人が自身の才能に気づき、
その才能を伸ばすキッカケやアイテムを
創っていく。

それが、

【イマジンのようなコンテンツの制作】だ。

 

 

 

You may say I'm a dreamer .
But I'm not the only one .
I hope someday you'll join us.
And the world will live as one.

 

世界が変わる前にCR089

f:id:kmikiwo:20210626130031p:plain



2009年にsbccを始めて直ぐにわたしを始め、
sbccのクリエイター6人は自分自身の
ハートの受け皿の小ささに気づき愕然と
なる。


次々に訪れる信じられないような[ツキ]を
前にして、もうどうすればいいかわからな
くなり呆然と立ち尽くしてしまう。


『sbcc|未来ノート』に取り組み続け、
自身のGOALを現状維持から、
真のGOALに書き換える事に成功する。

そこからsbccのクリエイターとして、
辿り着いたその場所は、


『真のクリエイティブワークとは何か?』


という究極の問いかけだった。


そしてその答えを、


『イラストやWebや写真や動画を通じ、
受けとった相手を幸せにすること』


だということに気づきその答えの先にある、
それぞれのGOALに辿り着く為には、

もっと多くの人に響き、そして受けとった
人を幸せにするイラストを描くには、
Webを作るには、写真を撮るには、動画
を制作するにはアドビのアプリケーション
の技術をマスターすることでもなく、
更に別のデザインの学校に通うことでも、
大きなイベントに出てこれまでの作品を
並べていい気分になることでもなく、


そのイラストやWebや写真や動画を創り
出す人、その人そのものをちゃんと創り
あげていかなければだめなんだという事。

そうやってちゃんと創り上げられた人から
しか本物は生まれては来ないという事。

わたし達sbccのクリエイターはその事を多分、
生まれて初めて激しく強く実感した。


そして誰もが自身の人間性の未熟さを知る。

でも、わたし達はそこからどう行動すれば、
先につながっていくのかを身体で知って
いた。だから迷いも不安も無くすぐに行動
に移すことが出来たのだ。


あれから1年半が経つ。


先日久しぶりにsbccのクリエイターだった
天野さんと電話で話した。

今年(2012年)の秋に無事二人目になる
女の子が生まれたそうだ。

前回の[ CR ]でも少し触れたが、
今は実家がある仙台に居るそうで、今度
仙台市の震災復興支援プロジェクトの一環
で、仙台市にある使っていない商業施設を
改築してそこにミュージアムを作り、
若手で未来のあるクリエイター達と一緒に
クリエイティブな切り口で東北地方を盛り
上げていく事に時間を使っていると、
とても楽しそうに話していた。

予算も全て仙台市が出してくれて、とても
ありがたいことに天野さんがずっと想い
描いていた作品のイメージが形に出来そう
だともう凄くはしゃいでいた。

もちろん天野さん自身もデザイン事務所を
個人経営していて仕事は回っているし収入
も同世代の何倍も稼いでいる。

そして天野さんの旦那さんはわたしも面識が
あって、あるIT企業の役員をやっている。

もともとはsbccでつながった縁で、
今、旦那さんとなっている方のsbccを天野
さんが制作してその後、その会社のサイト
のリニューアル時に天野さんがイラストを
提供したのがキッカケで交際に発展して、
そのままご結婚となり、現在に至る。


まさに絵に描いたような幸せロードだが、
2009年9月にわたしが初めて天野さんと
出会った時はフリーのイラストレーターを
夢見るだけのファミレスのホールスタッフ
で働く単なる25歳のフリーターだったのだ。

そして以前の[ CR ]にも書いたが天野さん
は一度、わたしと意見の相違からsbccから
離れてしまっている。


「わたしさんの言ってる意味が
わかりません。」


と言い捨ててそのまま天野さんは、
【見て見ないふり】を決め込んだ。

しかし、そんな風に自分自身に偽りの感情
を抱き切ることが彼女には出来ず、そして
わたしも思い当たる節があってそこからは、
お互い良きパートナーとして歩んできた。

そして天野さんはこれまで依存していた、
世界(他人)から抜け出し、新しい世界
(自分)を創り上げていったのだ。


わたしもsbccも未来ノートも天野さんに
とってはどれもキッカケだったに過ぎない。

しかし、その単なるキッカケを彼女は大切
に考え彼女にある全てを差し出して生きた。


その結果は既に何度か述べた通りだ。


その天野さんと対照的なのがMAさんだ。
MAさんは天野さんより後にsbccに参加し
たが、いつも文句ばかり言っていた。

そしてMAさんの主張は自己中心的な自分
の都合だけを優先させようとする単なる
わがままでしかなかった。

MAさんは自分自身が言っていることの
正当性を証明することに必死だった。

その為に、自らが置かれている満たされて
いない現状を同情を誘うように他のsbccの
クリエイターに話していた。

そして自分自身が納得いかない事が発生
すると他のクリエイターにも同意を求めて
負の徒党を組んでネガティブの連鎖を起し
ていた。

最後は受けた案件を途中で放り出して、
逆切れしてsbccを去っていった。


そのMAさんにも先日わたしは久しぶりに
電話をかけて[ CR ]にMAさんの事を
書くことの許可を求めた。そしてその時に
いろいろと近況を伺った。


MAさんは現在44歳で仕事は老人ホーム
介護施設などを深夜から早朝にかけて
清掃する仕事をして暮らしているという。


sbccを辞めた直後はしばらくsbccで稼いだ
お金で暮らしていきながら就職活動をした
そうだが上手く行かずに結局、18年間働き
続けてきたハンバーガーショップでまた
アルバイトとして働き始めたそうだ。

でも、一度sbccで全く違った世界を見た
体験がどうしても頭から離れられずに、
全くハンバーガーショップでの仕事が
身に入らなくなったのと、1年間離れた
だけで店舗のオペレーションが変わって
いて新たに覚えることが困難だったという。


「もう、年なんだよね・・・」
とポツリともらしていた。


そしてやっと見つけた仕事は
深夜から早朝にかけての清掃作業。

22時くらいの電車で作業する施設に移動
して、準備をして24時くらいから作業に
入り、朝の6時ごろまで清掃の仕事が続き、
その後、8時から9時の間にその施設の
スタッフが清掃状態のチェックに入り、
ようやくその日の仕事が完了となるそうだ。


相当体力を使うと言っていた。


それでも週6日は働いているという。
それ位は働かないと暮らせないんだとか。

そんな仕事でも応募が殺到しているらしい。

仕事が終ったらアパートに帰ってぐったり
して眠り、夕方頃に目覚めて食事を取り、
また仕事に向かう日々を繰り返している。

もちろん、もうイラストは描いていない。


MAさんも天野さんも2009年の年末の時点
では、バイト先がファミレスか、
ハンバーガーショップの違いはあるが、
同じフリーターで身分も収入もほとんど
変わりは無かった。

ではあれから3年後の現在では何故?
こんなに二人が生きる環境に差が出ている
のか?

同じ人達(わたしを始めとするsbccのクリエ
イター達)や同じ環境(sbccという環境)
に巡り合うという、条件は同じだったはず。

二人ともデザイン・イラストの専門学校を
卒業してそしてフリーターの道に進んだ。


何が違ったのだろう。


それは・・・


MAさんは過去に縛られて生きていた。
つまり、GOALが現状維持で自己中心的
に物事を考えていた。

つまり、MAさんは過去に生きたのだ。


それに対し、


天野さんは過去のしがらみを手放して、
現状維持だったGOALを真のGOALに
書き換えていったのだ。

つまり、天野さんは未来のGOALの為に
今を生きたのだ。

それが3年でこれほどまでに大きな差に
なっていったのだ。

わたしはこの二人から実に多くの事を学ばせ
ていただいた。

わたしが二人にやった事は実は全く同じ事。
それは、天野さんがMAさんが仕事を
しやすい環境を必死になってつくった。

結果、天野さんはその環境を活かして
わたしの至らない点をちゃんとフォローして、
それぞれが仕事をやりやすいように助けて
くれた。そして、自身の幸せを掴み、
その恩恵はわたしにもちゃんと分けてくれた。

MAさんは環境の粗捜しばかりして、
わたしの至らない点をあげつらって、
いつも文句ばかり言っていた。
最後は取り組んでいる案件を途中で放り出
して逆切れしていなくなってしまった。


天野さんは自分自身が住む世界(自分)を
自らが創り出し、MAさんは他人が作った
世界(他人)に住まわせてもらいながら、
住み心地が悪いと文句を言った。


今、わたしが住んでいるこの世界(?)は
果たして自分自身が創った世界(自分)
なんだろうか?

それとも、親や先生や友人や他人やテレビ
などの他人が作った世界(他人)に住んで
いるだけなんだろうか?


もし、後者の他人が作った世界(他人)に
あなたが住んでいるとしたら、
今すぐに二つの選択肢のどちらかを取る事
をお勧めする。

一つはその世界(他人)の綻(ほころ)び
をあげつらいながらも、排除されないよう
に、もし排除された時の事を考えて、
別の他人が作った世界(他人)も探しつつ
より深く依存して、へばりついていくか、


それとも、


その世界(他人)から抜け出し、
自身の世界(自分)を創るか?


何故なら今、急激な勢いをつけて、
この世界が変貌を遂げているからだ。


それはもう、既に至るところで具体的な
事象となって現れている。

しかし、これはまだこれからやってくる
大きな変化の前兆に過ぎない。


古い価値観がぶっ壊れてこれまでには
存在しなかったような新しい価値観に
取って変わるそんな時代だ。


わたしは今、やって来ている時代は、

『アートの時代』だと思う。


便利なり過ぎたこの世界で次に人が欲する
のは更に便利を追求することではなく、
どれだけアートか?が基準になる。


その証拠に多くのボタンを一切排除して、
ボタンをたった一個だけ前面につけた
iPhoneがこれだけ世界の人々に受け入れ
られたではないか!

これからのこのサバイバルの時代に、
ちゃんと豊かに幸せに生き残れる人は、
【クリエイター】だろう。

何かを創造していける【クリエイター】と
して生きていく事が自身のそして世界の
幸せにつながっていくだろう。


こんな混沌とした素晴らしい時代に、
こうして文明の利器を使ってメッセージを
発信出来ている事に心から感謝している。

 

 

 

 

 

to be continued

 

辿り着いたその先には、CR088

f:id:kmikiwo:20210626130031p:plain



2009年にsbccを始めて直ぐにわたしを始め、
sbccのクリエイター6人は自分自身の
ハートの受け皿の小ささに気づき愕然と
なる。


そして次々に訪れる信じられないような
[ツキ]を前にして、もうどうすればいいか
わからなくなり呆然と立ち尽くしてしまう。


sbccスタート当初、わたしを含めて6人居た
クリエイターの内の3人は真剣に何度も、
『sbcc|未来ノート』に取り組んでいき、
自身のGOALを単なる現状維持から、
真のGOALに書き換える事に成功した。

残り3人の内の2人は『sbcc|未来ノート』
に1度だけ取り組んだが1度取り組んだだけ
でその後はわたしら3人のサポートに回った。

そして3人の内の1人は途中で投げ出して、
そのままsbcc自体を辞めてしまった。

そしてその後のsbccは目まぐるしい発展を
遂げて、振り返ると述べ3000人ほどの
sbcc|自分ブランド名刺の制作をさせて
いただいた。


そしてわたし達sbccのクリエイターが
辿り着いたその先は、

『真のクリエイティブワークとは何か?』

だった。

つまりsbccだけではなく、この世界にある
芸術や商業的なイラストやデザイン、写真、
Web、動画など作品と呼べるもの、
これら全ては例外なく人から人へ手渡され
ていくものであるということを実感した。


人がイラストを描き見た人が幸せになる
人がデザインをして見た人が幸せになる
人が写真を撮って、見た人が幸せになる
人がWebを作り、見た人が幸せになる
人が動画を制作し、見た人が幸せになる


すべてのクリエイティブワークの原点に人
があり、そして終点にも人がいることを
実感していったのだ。


sbccでわたし達クリエイターはこの事を深く
学びそして、同時に悩んだ。


これまでは単純にイラストを描く技術や
Webサイト制作の技術、カメラを扱う
技術、アドビのアプリケーションを扱う
技術にばかり目を向けていてその技術を
向上させていくことで綺麗なイラストを
描いたり綺麗なWebサイトを制作したり、
綺麗な写真を撮ったり、カッコいい動画が
作れたりする、そういった事ばかりを
求めて来たしそれが当たり前だと思ってた。


だけど、sbccの制作やっていく過程で
それは本当に求めているものじゃないと
わたし達は気づいてしまったのだ。


わたし達が本当に求めていたものそれは、

『イラストやWebや写真や動画を通じ、
受けとった相手を幸せにすること』

だったのだ。

こういった事はこれまで何度も言っている
人に出会って来たが、言葉で言うのと、
ハートで感じるのはまるで意味が違う。


10年間第一線で活躍しているクリエイター
の方がsbccの制作に携わってくださった時、
彼女はこんな事を言っていた。


「最初お話を聴いた時はなんだ名刺制作か、
本業以外のいい副業になるなって思った。
でも、実際に制作してみて驚きました。」

「こんなにダイレクトに人間を描いたのは、
これまでの人生、一度も無かったです。」

「人が人を描くというのはこんなにも、
苦しくそして清々しいものなんだと知る事
が出来て本当によかった。素晴らしい経験
をさせていただきました。」

「もっと人間性を磨きます。」

と。

そしてその後の彼女の作品には何ていうか、
そう、【心】が入ったのだ。


ここまで辿り着いたわたし達はsbccのチーム
としてやる最後の『sbcc|未来ノート』に
取り組んだ。


そして、sbccのクリエイターのうちの一人
は、より深く人を描く為にパリに旅立った。

もう一人も時期をずらして、より人の心に
衝撃と感動を与えるチカラを身につける為
に後を追ってパリに旅立った。


三人目のクリエイターの天野さんはsbccの
制作で出会ったクライアントの男性と結婚
して先日二人目の赤ちゃんを出産した。


そして天野さんは今度、仙台市の震災復興
プロジェクトの一環として仙台市に新しい
形のミュージアムを作りそこで若手の
クリエイターと一緒に創作活動を始めると
言っていた。


その天野さんは結婚式の時にこんな事を
言っていた。


「sbccに関わる前まではずっと人並みの
幸せを求めていたように思うんです。」


「でも、どこを探しても人並みの幸せ
なんて無かったんです。」


「こんな時代に労働に時間に縛られながら
大好きな旦那様と子供と愛溢れるそんな、
コミュニケーションを取ることなんて
とても出来ないとは感じていました。」


「だけどsbccに関わることが出来て、自分
の都合だけの人並みの幸せを求める行為が
どれだけ愚かな行為なのかがハッキリと
分かったんです。」

「私は人の幸せの為にこれからも生きてる
限り絵を描き続けていきます!」


と。


それぞれ生きる道は様々。


でも、それぞれがそれぞれのGOALに
向かいちゃんと歩いている事だけは確かだ。


そしてわたしはsbccをこの時代の先に合わせ、
新しい形で組み立て直し、新しく始めよう
と2011年8月に皆が旅立った後から、
紆余曲折しながら準備を進めてきた。


ここに辿り着くまでずいぶん時間が
かかってしまった。

 

 

 

 

to be continued

 

人を描く人になるCR087

f:id:kmikiwo:20210626130031p:plain


2009年にsbccを始めて直ぐに自分自身の
ハートの受け皿の小ささに気づき愕然と
した。

これはわたしをはじめ当時居たすべての
sbccのクリエイターが同様に感じた感情だ。


きっとあの時のクリエイター達の感情は、
わたしがアメリカに留学中にムハタグさんと
出会った時に『伝えたい』と心から想った
あの感情と同じなんだろう。


イラストの制作を通じて、
デザインの制作を通じて、
Webサイトの制作を通じて、


sbccのクリエイターはこれまでに経験した
ことが無いほどの数多くの人々に出会う。

そして出会った全ての人達は別々の場所で
様々な価値観を抱き暮らしている。


そんな様々な価値観を持つ人達の、
コンセプトやライフスタイルや活動内容、
そして発信したいメッセージを汲み取り、
それをイラストやデザインに変換すると
いうsbccはまさにクリエイティブな仕事だ。


イラスト制作やデザイン制作といった仕事
はイメージが先行し過ぎていて目先の物事
にとらわれてしまいがちだ。


「何が出来てクリエイターか?」

「何をもってクリエイティブといえる?」


この本質をわたし達sbccのクリエイターは、
sbccの制作を通じて深く理解出来た。


わがままな人がカタチを取り繕ってもすぐ
バレるし、卑しい人が作った作品は後味が
悪い。

自分の事しか考えていない人やお金に固執
する人が作ってもそこに人は感動しない。


すぐれた思想が軸にあって深い人間同士の
コミュニケーションが軸にあってそして、
始めてすぐれた作品と呼べるだろう。


わたし達が制作する作品には人間性とか
社会性とかそういったものがもの凄く、
現れるものだ。


これまで10数年イラストレーターをやって
来たという人が技術やテクニックだけで
制作したsbccより、まだ始めたばかりの
クリエイターがすぐれた思想で、相手と
深くコミュニケーションを取って制作した
sbccのほうがクライアントに感動を与え、
その後も深いお付き合いになっていった例
をわたしは数多く見てきた。


sbccのクリエイターは、イラストレータ
でもデザイナーでも無く、何かを創りだす
創作者であるという意識をいつも持って、
名刺のパンフレットのWebの映像の制作
に取り組んできた。


そして創作者である前にわたし達自身が
一人の人として「人」の本質を見つめ、
体験することの中から創作する意義を
見出せる。


どこまで人を描き人を動かせるか?


これぞ真理だろう。


イラストレーターもフォトショップの技術
もこれらの意義を伝える為の単なる手段に
過ぎない。


偽ったままの自分で何年にも渡り、
溜め続けて来たよどんだ澱(おり)を
吐き出さないままで制作した作品など

誰が感動する?


自分勝手な都合だけで人との約束を平気で
破り自分の都合だけ押し付けてくる人が
どんないい作品を作れる?


うわべだけのテクニックで制作した作品は
何の価値も持たない。それは、紙にインク
を擦り付けただけのゴミでしかない。


わたしをはじめsbccのクリエイターは
その真理に気づいてしまった。


学ぶべきもの身につけるべきものは、
フォトショップのスキルでも、
イラレのペジェ曲線のスキルでもなく、


『高い人間性というスキル』
なんだという事に気づいた。

そしてそこから生み出された思想や、
自身が描くGOALが創作の元となり、
人々が感動する作品になっていくのだと
知った。


そこからは他人との比較ではなく、
自分自身との戦いになっていった。


簡単なことじゃ無い事は分かっている。


でも、こんな先が見えない混沌とした世界
の中で、わたし達は誰かが組み立てた世界
(他人)に依存するのではなく、
いつも自分自身が組み立てた世界に住み
続ける為にはクリエイターとしての質を
磨かなければならないだろう。


それはつまり、人の質を高めるということ
に他ならない。

 

まぁそういう事を言ってるわたしもまだまだ
全然これから人としての質を高めている、
そんな途中なんだ。

 

 

 

 


to be continued

 

組み立て直す人とそうじゃない人CR086

f:id:kmikiwo:20210626130031p:plain


親に先生に会社に豊かな社会の環境に国に
依存しきった価値観でこれまでを組み立て
てきた【井の中の蛙】だったということを
痛感したわたしは【依存しきった価値観】を
打ち壊す為に渡米したが、すぐに強制送還
されてしまう。

そして再度渡米した先はテキサス州
キングスビルという片田舎の街にある大学。

そこで出会ったのが、1日の生活費が2ドル
(約240円)のバングラデシュという国
から来たムハタグさんというわたしと同じ
年齢の青年。

そして日本の事に興味を抱いた彼や様々な
国からやってきた友人や知人クラスメイト
からわたしは質問攻めに合う。

【質問】を受けて『答え』を絞り出す

この行為を繰り返していくうちに、
これまでずっと溜め続けて来たよどんだ
澱(おり)のようなモノが全身からスーッ
と出て行くような感じを何度も味わう。

帰国後も事あるごとにこの、
【質問】を受けて『答え』を絞り出す

という行為を繰り返して、自身が歩むべき
道が自然と導かれていくという不思議な
体験が続き、とてつもない[ ツキ ]に恵ま
れてきた。


そして2009年にsbccが始まった時に直面
した大きな課題、それは目の前に現れた
[ ツキ ]の大きさがそれを受けとる自身の
ハートのお皿のサイズが合わないという事。


2009年のsbccが始まった直後の時期、
あの時は苦しかった。目の前にたくさんの
引き合いがありsbccをそしてそこから先の
何かをわたし達が提供してくれるのを待って
いる多くのクライアントさんたちがいる。


その中には高校生も居た。
65歳の経営者の方も居た。


この方々に対してこの時期のわたし達の力量
で提供出来るものはたかが知れている。

だったら、いい機会だ一気に高みへ登ろう。

初期のsbccのメンバー皆でわたしがずっと、
取り組んできた【質問】を受けて『答え』
を絞り出すという行為に取り組んだ。

もちろん、わたし以外は誰もが最初は
上手く出来なかった。


わたし以外の5人のメンバーの内2人は何度も
何度も取り組んだ。そして残りの3人の内
の2人は1回取り組んだだけでそれ以降は
取り組まなかった。

そして残りの1人はそんなの意味ないと、
取り組みもしなかった。


真剣に何度も取り組んだ2人のメンバーと
わたしの3人でこの、【質問】を受けて
『答え』を絞り出すという行為に、
『sbcc|未来ノート』と名前をつけて、
sbcc|自分ブランド名刺を制作してくださ
ったクライアントのうちの何名かに質問を
書いた紙をファイリングして渡した。


それを受けとってくれた一人の方がsbccの
クリエイターとして制作に参加してくれた。


結果は?


真剣に取り組んだ2人が中心になって
sbccは事業が順調にまわり出した。

そして1回だけ取り組んだ2人が補助にまわ
ってどんどんsbccは巡り来る[ ツキ ]を
吸収していった。


『sbcc|未来ノート』に取り組まなかった
人はsbccそのものを途中でやめてしまった。


元sbccのクライアントで【質問】を受けて
『答え』を絞り出す『sbcc|未来ノート』
に取り組んでsbccのクリエイターになった
人と『sbcc|未来ノート』真剣に取り組ん
だ2人とわたしの4人が強力な核となり、
まるで竜巻のように駆け上がっていった。


これは『sbcc|未来ノート』が凄いのでは
なく、【今を変えたい良くしたい】と本気
で願い、愚直に可能性のある事に取り組み
、周りが呆れる程に向き合うその姿勢が、
こんな奇跡を起したんだと思う。


・・・

この世界には二種類のタイプの人間がいる。


一つ目のタイプの人は『いつも世界(自分
)を組み立て直せる人』こういうタイプの
人をスペキュラトゥールと呼ぶ。


もう一つのタイプの人は『誰かが組み立て
てくれた世界(他人)に依存する人』こう
いうタイプの人をパッグホルダーと呼ぶ。


わたしは海外に出てそれがハッキリわかった。


25歳までのわたしは完全にパッグホルダー
だった。

誰かが組み立ててくれた世界に依存してた。


だから上手く行かなくなった時に
その解決方法がわからなかったのだ。


それは、自分自身で組み立てた世界
(自分)じゃないから世界(自分)を
調整する方法も修理する方法も知らない。


誰かが組み立ててくれた世界(自分)で
何の問題も生じていない時は何とか、
それでも暮らしていけし、生きていける。

でも何か問題が起こるとそこから少しずつ、
時には一気に世界(自分)が崩れ始める。


そんな時、『いつも世界を(自分を)組み
立て直せる人』スペキュラトゥールだった
ら、自分で組み立てた世界(自分)だから、
その解決方法も修理する方法もわかるのだ。


わたしは1997年に世界から受けとったこの、
『sbcc|未来ノート』を書き続けてきて、
誰かが組み立てた世界に依存するという
パッグホルダーという生き方から脱却した。


もしあのままずっとパッグホルダーとして
生き続けていたとしたら・・・・
想像するだけでそれはおぞましく感じた。


ちなみにパッグホルダーとは、
『鴨にされる人』という意味だ。

 


to be continued

 

みんなで取り組んだことCR085

f:id:kmikiwo:20210626130031p:plain

親に先生に会社に豊かな社会の環境に国に
依存しきった価値観でこれまでを組み立て
てきた【井の中の蛙】だったということを
痛感したわたしは【依存しきった価値観】を
打ち壊す為に渡米したが、すぐに強制送還
されてしまう。

そして再度渡米した先はテキサス州
キングスビルという片田舎の街にある大学。

そこで出会ったのが、1日の生活費が2ドル
(約240円)のバングラデシュという国
から来たムハタグさんというわたしと同じ
年齢の青年。

そして日本の事に興味を抱いた彼から、
様々な国からやってきた友人や知人、
クラスメイトからわたしは質問攻めに合い、

【質問】を受けて『答え』を絞り出す、
というこの行為でこれまでずっと隠し続け
てきた【見て見ないフリ】をしてきたこと
が少しずつ露呈していく。

この行為は、化膿した膿(うみ)を絞り出
すという行為にとても似ていてそれは一瞬
の大きな心の痛みを伴った。

しかし化膿した膿(うみ)が絞り出された
その後は自身の治癒力で治癒されていった。

そこからわたしの人生はもの凄く好転する。
何から何までツキまくる!という流れが
起きてそのツキは今現在もなおより強靭に
なり、続いている。


迷った時や人生の節目節目で繰り返し続け
てきたこの世界中のいろいろな国の人から
【質問】を受けて『答え』を絞り出すと
いう行為はわたし自身の気持ちの奥の奥
に隠れて見えなかった真のGOALを目覚
めさせてくれて、そこから道筋を作って
いってくれたのだ。


それも自動的に。


後は【質問】の『答え』から導き出された
道筋を楽しく愉快に歩いていると、向こう
から怒涛の如く「ツキ」がやってくるのだ。

まるでわたしがやってくるのを待っていた
ように受けとれないほどのHappyな出来事
のシャワーを浴びる。

そしていつしかこの【質問】を受けて
『答え』を絞り出すというこの行為は、
わたしの習慣になっていた。


sbccがスタートした直後の2009年12月も
まさにこの「ツキ」が押し寄せてきて、
受けとれないほどの仕事の引き合いや、
その素晴らしき出会いに恵まれた。

しかし残念な事にわたし達のハートの受け皿
が小さかった為にこの怒涛の如く押し寄せ
る「ツキ」を前にどうしていいか分からな
くなってしまったのだ。


これはよく宝くじで高額当選した人が、
その後で身を滅ぼしていくという事に
似ている。

つまり、これまで10という位の幸せで
暮らしてきた人がいきなり30,000という
幸せを手にしてしまってどうしたらいいか
わからなくなってしまうということだ。


2009年12月のsbccがまさにこの状況だった。
仕事は溢れ引き合いも続き、クライアント
には感謝されまくるが、もう当時のわたし達
にはそんな仕事も感情も上手く処理が出来
なかったのだ。


そんな時にわたしはお決まりのアメリカで
出会った世界中のいろいろな国の人から
【質問】を受けて『答え』を絞り出すと
いうこの行為をした。


さすがにもう1997年から100回近く繰り返
してきたから(それほどわたしの人生は悩み
多く分岐点も多かったのだ)手馴れていて、
間もなく、『答え』が出揃い道は導き出さ
れていった。


しかしこれまではそれで良かった。

会社勤めのアルバイトや会社員だった頃は
同僚との比較だけでちゃんと言われた事を
そつなく出来ているかどうかあるいは、
指示された目標をクリア出来ているか、
出来ていないかだけが判断基準で給料が
もらえるわけだから、わたし一人が抜きん出
ればそれで良かったので、


まわりの人達がもがいている時にそんな
人達を横目にわたしはスイスイと自身の行く
道を進んで行く事が出来たのだ。


まわりからは「ツイてるよね…」って言わ
れて、「そうなんですよ!」と言い返した。

そして2007年に一人で独立した時も、この
アメリカで出会った世界中のいろいろな国
の人から【質問】を受けて『答え』を絞り
出すという行為を繰り返してツキまくって
生きてこれた。

だけど、今回だけは事情が違った。

それは、sbccを一緒にやっているメンバー
が居たということだ。


だからここでわたし一人がスイスイっと先に
進んでしまっても意味がない。

わたしが選んだ方法はこの【質問】を受けて
『答え』を絞り出すというこの行為の方法
とその前提にあったアメリカでの出来事を
一緒にsbccを始めた6人のメンバーに時間
をかけてじっくり伝えていった。

もちろん誰もが最初は半信半疑だったし、
きっとよく理解していなかったと思う。


だけど、目の前には怒涛の如く押し寄せて
くるツキがありそれを受けきるハートの
お皿は小さくほとんどがこぼれてしまう。


6人はそれぞれこのわたしが伝えた事に取り
組んでいった。

 

 


to be continued

ツキが巡ってくるCR084

f:id:kmikiwo:20210626130031p:plain

親に先生に会社に豊かな社会の環境に国に
依存しきった価値観でこれまでを組み立て
てきた【井の中の蛙】だったということを
痛感したわたしは【依存しきった価値観】を
打ち壊す為に渡米したが、すぐに強制送還
されてしまう。

そして再度渡米した先はテキサス州
キングスビルという片田舎の街にある大学。

そこで出会ったのが、1日の生活費が2ドル
(約240円)のバングラデシュという国
から来たムハタグさんというわたしと同じ
年齢の25歳の青年。

そして日本の事に興味を抱いた彼から、
様々な国からやってきた友人や知人、
クラスメイトからわたしは質問攻めに合い、

【質問】を受けて『答え』を絞り出す、
というこの行為でこれまでずっと隠し続け
てきた【見て見ないフリ】をしてきたこと
が少しずつ露呈していく。

この行為は、化膿した膿(うみ)を絞り出
すという行為にとても似ていてそれは一瞬
の大きな心の痛みを伴った。

しかし化膿した膿(うみ)が絞り出された
その後は自身の治癒力で治癒されていった。

その後の効果は絶大だった。

ずいぶん心が身体が軽くなった。

これまでずっと苛まれていた何かこう、
【満たされない想い】というのが消えた。


このアメリカで受けとった【質問】はその
後のわたしの人生でも度々大きな意味を持っ
て活躍していた。

それは、悩んだ時や人生の節目という時に
引き出し中からこれらの【質問】を書いた
メモやノートを引っ張り出してきてそこに、
その時に浮かぶ『答え』をひたすら書き込
んで行ったのだ。


そしてその作業を終えて数日後には不思議
に心が透明になったような感触を味わい、
ハッキリとその先に進むべき道が見えた。

帰国後からずっとその通りに道を進み続け
て来て、振り返ってみるととても正しく、
そして楽しい選択だったと思う。

1997年の1年間のアメリカの生活で、
受けとった数々の価値ある【質問】で、
わたし自身ははっきりと真のGOALが
見えたのだ。


それは環境が変わり、これまで味わった事
のない感情が芽生えそして、『答え』が
奥の奥にしまっていて見つけにくい、
【質問】の数々で性格まで変わった。


結局、いてもたってもいられなくなり、
わたしは1年の予定を切り上げて1997年11月
の終わりに日本に帰国した。


バングラデシュという国から来たムハタグ
さんやアメリカで出来た世界中の国々の
友人達には結局、わたしは日本の文化を
ちゃんと伝えることが出来なかった。

でも、あのままアメリカに居てもあれ以上、
情報が取れなかったし、わたしの中には何か
大きな思想が芽生えていたからだ。


そしてこのアメリカで受けとった【質問】
を書いたメモの切れ端やノートを整理して、
その後も『答え』を探し続けていった。


1998年にコンピューター開発の会社で仕事
を始める時もそしてそこを辞める時も、

1999年にベンチャー企業の立ち上げに
関わる時も社内での事業プランを作る時も、

2003年にマーケティングコンサルティング
の会社に入る時も、

2004年にWebコンテンツ企画の会社へ
プレゼンして入る時も、

2006年に人材サービスの会社の立ち上げに
参加する時も、

2007年にパソコンのネット講師として独立
する時も、


すべてにおいて、このアメリカで受けとっ
た【質問】を書いたメモの切れ端やノート
を引っ張り出してきて『答え』を書いた。

そしてその自らが書いた『答え』から導き
出された事に従ってこれまでを選択して
きたのだ。

そして面白いようにツキが巡ってきた。

不思議なことに選択する道、すべて
「ツイてる!」としか思えなかった。

なんていうか、全ての道がまるでずっと、
わたしが来ることを待っていたかのような、
それくらいわたしにとって信じられない程、
最高の居場所があったのだ。

そしてそれは今もしっかりと続いている。

すべての選択が大正解でもうめちゃくちゃ
「ツイてる!」と思うがその中でも記憶に
新しいのは、sbccをスタートしたその直後
の2009年の年末だ。

それまでやっていた事業の波が激しく、
売上げも生活もギリギリの所で踏ん張って
いたわたしだったが、その時にこの【質問】
を見て『答え』を書き、そこから得た道に
進み『sbcc』という事業に辿り着く。


そして当時、関わりの合った数名の、
イラストレーター達と一緒になって、
『sbcc』の制作を進めていった。

するとまた、「ツキまくって」しまい、
信じられないような成果をあげた。


しかし、直ぐに壁にぶち当たってしまう。


それは、わたしをはじめ一緒に『sbcc』を
やっていた仲間の誰もがこんな「ツキ」の
体験をした事がなかった。


そのためどうしていけばいいかが、
分からなくなってしまったのだ。

 

 

 

 


to be continued