【反応性】で生きている時間の経過CR037
【反応性】だけで生きている時間が長くなった人に起こること。
イノセントな【感受性】が意識に上がり現実との乖離(かいり)にもがく。
結果、時折もの凄い空虚感に見舞われる。
そして、もう一つ【反応性】だけで生きている時間が長くなった人に起こる現象は、『才能が死ぬ』のだ。
長い時間、働きかけられることにただ反応し、そして選択するのは『利益』と【快楽】。
ちと、想像してみて欲しい。
ひたすらベットの上で寝ていて、呼ばれたら返事をして食べる物は自分が食べたいものだけ、身体に良いとか悪いとかそういった事は一切考えない。
そんな人の筋肉はどうなるだろうか?
ベットの上で寝ている時間が長くなれば、なるほど衰退して行き、やがて自分の力では立ち上がれなくなるだろう。
そして食べるものが自分が食べたいものだけ、これでは身体が作られるわけがない。
更にはベットの上でひたすら寝ているわけで、呼ばれた時だけ返事をするわけだから、それでは自分に取って必要な情報を手に入れることが出来ない。
そんな人が情報を手に入れる時は与えられた、働きかけられた時だけだ、それも自分自身に必要な情報かどうかはわからない。
【反応性】だけで生きている人の才能は、ひたすらベットの上で寝ている時の身体の筋肉の状態と同じ。
筋肉は使わなければ衰退して退化していく。
才能も使わなければ衰退して退化していく。
だから【反応性】だけで生きている時間が長くなった人の『才能』は死ぬんだ。
前にも書いたが【反応性】だけで生きている人の行動の選択基準は『快』か『不快』か。
つまり、『利益』と【快楽】を得られるか、それとも『恐怖』や【痛み】なのかだけだ。
以前、ある制作者の方からこんな事を聞かれた。
「快を選択することはよくないことなんですか?」
「快がwant toで不快がhave toではないのですか?」
まったくその通りだ。
原則にあるのが[ have to ]な事柄ではなく、[ want to ]な事柄をやっていくことが当人も周りも幸せということ。
ではこういった場合はどうだろう。
Aさんはケーキを食べながらコーラを飲み、テレビゲームをやることが[ want to ]な事柄だと言っているし、そう思っている。
原則にあてはめるとこのAさんが取るべき行動は[ want to ]な事柄なわけだから、ケーキを食べながらコーラを飲み、テレビゲームをやることがいいということになる。
全くその通りだ。
もし、Aさんが[ want to ]ではない、[ have to ]な事柄でアルバイトで居酒屋のホールスタッフをするという行動を選択したらどうなるだろうか?まず、Aさんにとって[ have to ]なわけだから全然その行動は楽しくないだろう。
最初の2、3日は好奇心が働き楽しい事もあるが、数日間が経過すると慣れてくるので飽きる。
何故なら、[ have to ]だからだ。
そうなると、その居酒屋で働くほかのメンバーにとっても[ have to ]な事柄をやっているAさんと一緒に働くのは苦痛だろう。Aさんは口に出して言うか心で思っているか、あるいはその両方か確実に意識でも無意識でも
[ have to ]を表現している。
この居酒屋の店長もそんなAさんには早く、辞めてもらいたいと思うだろうし、この居酒屋のオーナーからしてみれば、何でこんなAさんにアルバイト料を払わないといけないのかといった感情になるだろう。
そして一番迷惑なのはこの居酒屋のお客さんだ。
お客さんは一日の終わりに一日の疲れを癒す為、または友人達と憩う為にこの居酒屋に足を運ぶ。
そこで、Aさんのつまらなさそうな顔や態度、つまり[ have to ]な感情に触れたらどう感じるだろうか?
多分、文句を言うか、言わないとしたら、嫌な感情を抱いて帰るか、どちらにしても、しばらくはこの居酒屋には足を運ばないだろう。
つまり、Aさんが[ have to ]な事柄をすることでAさんをはじめ、Aさんに関わる多くの方が迷惑をこうむることになる。
だからこの場合、Aさんは[ want to ]な事柄だけをやっておいてもらえたらいいわけだ。
ケーキを食べながらコーラを飲み、そしてテレビゲームをする日々を送ることだ。
それがAさんの[ want to ]な事柄なのだから。その結果、Aさんの身体がおかしくなっても、社会性が損なわれてもそれらは全てAさん自身の責任だ。
大体【反応性】だけで生きている人の[ want to ]は自身の欲求を満たす為のものだ。
それはそれでいいと思う。
この場合のAさんが[ want to ]だけをやり続け、死んでしまおうが全てAさんの責任だからだ。
社会で生きることは自己責任で生きることだ。