川村 みきをのメモ帳

日々のアウトプットをメモっています。

【反応性】だけで生きる意味CR038

長く【反応性】だけで生きていると、幼少の頃のイノセントな【感受性】が意識に上がり、もの凄い空虚感に
見舞われる事がある。


そしてそんな状態を放置し続けるとやがて、『才能が死んでしまう』
【反応性】だけで生きている人の行動のベースは『恐怖』や【痛み】を避け『利益』と【快楽】を得ること。


ここまで書くとまるで【反応性】だけで生きている人はとてもダメな人のように思えてくるかもしれない。
でも、よくこの言葉を見て欲しい。


『【反応性】だけで生きている人』


この『【反応性】だけで生きている人』というのは、【反応性】だけ・・・つまり、【反応性】だけでしか生きていない人という意味になる。


どういうことかというと人にはどんな人でも病気じゃない限り【反応性】は備わっている。
誤って熱いお鍋を素手で触ったら、咄嗟に「熱いっ!」と言って手を離すだろう。


カッターナイフで指先を切ったら、咄嗟に「痛いっ!」と言って指をくわえて出血を止めるだろう。
水に潜り数十秒もしたら息が苦しくなり、水面に上がろうとするだろう。


これらはすべて出来事に身体が【反応】している証拠だ。


これが人間に備わっている【反応性】だ。


この【反応性】があるからわたし達は生存していられるのだ。

もし誤って熱いお鍋を素手で触っても【反応性】が無ければそのまま大火傷を負ってしまうだろう。
カッターナイフで指先を切っても、【反応性】が無ければそのまま指を切り続けてしまうかもしれない。

水に潜り数十秒立っても、【反応性】が無ければそのまま何十分でも潜り続け、肺の中に水が入って死に至るかもしれない。


わたし達の命はこの【反応性】で守られているといっても過言ではない。


それくらい【反応性】というのは重要だ。


この【反応性】は人間だけじゃなく、虫にも小動物にも全ての生命を宿しているものに備わっている。
この【反応性】は『恐怖』や【痛み】を避け『利益』と【快楽】を求めるという習性がある。


熱い鍋を素手で触ることも避けるし、カッターナイフで指を切ることも避ける。息が出来ない状態で長時間水中に潜ることを避ける。

これらは【痛み】だからだ。
そして、指先は常に健康で快適でいること、酸素を胸いっぱいに呼吸することを求める。

これらは【痛み】でない【快楽】だからだ。


つまり、【反応性】だけで生きている人が『恐怖』や【痛み】を避けて『利益』と【快楽】を得ようとすることは、とても自然なことなんだ。


虫も小動物も生きとし生けるもの全ては、『恐怖』や【痛み】を避けて『利益』と【快楽】を得ようとする。


ひまわりだってお日様の方に向かって力いっぱい咲いているだろう。
それがひまわりという植物が気が遠くなるほど長い歴史の中で、光合成を行う為にもっとも快適だという選択をしたからに他ならない。


つまり、生きとし生けるもの全ての生命はこの【反応性】には逆らえないのだ。

 

「それじゃあ【反応性】だけで生きても別にいいじゃん、自然なんでしょ?」


と、いうことになる。


確かに虫や小動物や草木ならそれでいいだろう。


ミツバチの習性を利用してわたし達は蜂蜜をいただくという恩恵を得ているし、犬が飼い主に従順な習性を利用して、目が見えない人の役に立っている。

草木が太陽の光を浴びて光合成をするからわたし達は呼吸が出来ている。


でも、わたし達は虫や小動物や草木でもなく、わたし達は人だという事を絶対に忘れちゃいけない。


人は想像することが出来る。
人は創造することが出来る。


【反応性】だけではない生き方が出来るからわたし達は人なんだ。