川村 みきをのメモ帳

日々のアウトプットをメモっています。

『恐怖』や【痛み】は必要か?CR034

「人を使うにはムチと飴を使い分けること」

こんな言葉を聴いたことがないだろうか?

【反応性】だけで生きている人を他者が動かすために即効性の高い方法として恐怖や痛みがある。

だけど、この恐怖や痛みは、慣れるかその正体を知ることですぐに無効化してしまう。

もうひとつ、反応性だけで生きている人を他者が動かすための方法に利益と快楽がある。

そしてこれらの利益と快楽も、慣れるかその正体を知ることで早い段階で無効化してしまう。

つまりこの「人を使うにはムチと飴を使い分けること」が全てを物語っている。

反応性だけで生きている人を効果的に動かしていくには

【反応性】だけで生きている人を動かすには、まずムチで叩く…それはつまり恐怖や痛みということ。

この時、恐怖や痛みの加減を上手く調整することが重要だ。

そして時には飴を与える…それがつまり利益と快楽だということ。

この事を繰り返して行く事で、[ 知性で生きる人 ]が、【反応性】だけで生きている人を動かす。

実はこのスタイルはわたし達が生まれた時から何十回、何百回、何千回と繰り返されて来た。

どういうことかというと、躾(しつけ)と呼ばれているものだ。

わたし達のほとんどが経験した躾(しつけ)

幼い頃、わたし達は{ 感受性 }で生きていた。

ただ、感じるままに泣き笑い、自身の感情を表現していた。

でも、そんな幼い子供の頃の{ 感受性 }というものはinnocent:イノセント、つまり無邪気で純粋で無垢な表現だ。 時にそんなイノセントな{ 感受性 }は大人にとって都合が悪いことがある。

それは、電車の中で騒いだり、レストランで走り回ったり、スーパーで大きな声を出したり、イノセントな子供が、思うままに感じるままに行動してしまうと、周りにいる大人達が迷惑に思うことがある。

だから、親や先生は、

「騒ぐな!」 「走るな!」 「大きな声を出すな!」

と言う。

それは、多くの大人達が、【反応性】で生きているからただ反応してそう言っている事がよくある。

でもそれを聴いた、イノセントな子供はその言葉をそのまま受け止める。

でも、その時には、電車の中で騒がないというイメージが出来ていないからまた、電車の中で騒ぐ。

そうすると、次に大人達が取る行為は、『恐怖』を与える。

まず単純に叱り付ける。

そして、

「電車の中で騒ぐと悪い人が来てさらわれてしまうよ~。」

などと言って『恐怖』を与える。

これで一旦、子供は静かになるが、少しすると「悪い人」なんてどこにもいないことを知る。

すると、また騒ぐ。

そうすると次に親は、「電車の中で騒ぐと置いていきますよ。」と別の角度から『恐怖』を与える。

置いていかれる事の怖さを知っている子供は静かになる。 でも、置いていかれる事の怖さを知らない子供は静かにならない。

そうすると次に親はその子供の腕をつねったり、頭を叩いたりする。

それが痛みだ。

やがてその子供は電車の中で騒がなくなる。

この時にこの子供の中ではいったい、どんな事が起こっているか? それは、電車に乗った時に感じた嬉しさや楽しさという感情を外部からの働きかけで押し殺してしまっているのだ。

つまり、イノセントな子供の{ 感受性 }を感じる事を外部からの働きかけで否定されたということだ。

こう書いてしまうと、まるで親の躾が全て悪のように捉えられてしまうが、そうでもない。

例えば、駅のホームで電車を待っている時、イノセントな子供はその{ 感受性 }で、電車が来た事に喜びや楽しさを感じて、ホームに入ってくる電車に近づこうとすることがある。

だけど、親は必死なってその子供の行動を止めるだろう。 何故なら、それは生命の危険にさらされてしまうからだ。 だから、腕を引っ張ってその場に留めるようにするだろう。

そしてその時に親が感じた恐怖感を子供に伝える。

そしてホームに入ってくる電車に近づくという行為は死に直面する行為だという事を子供は強烈に知ることになる。

つまり、恐怖や痛みは一概に不必要な働きかけではなく生命の保持には必要な働きかけでもあるのだ。 ただそれも度を行き過ぎると弊害が発生する。

それが大人になっても、【反応性】だけで生きてしまうようになるということだ。

子供の頃に受けた躾(しつけ)が【反応性】の土台になっている

つまり、わたし達は親や先生や友人達や、テレビやゲームなどから過剰な、恐怖や痛みを与えられて育ってしまったということだ。 だから、ある程度の年齢になっても、【反応性】だけで生きてしまう人が多くなってしまった。

わたし自身もそんな一人だった。

だけど恐怖や痛みというものには、慣れるということをわたし達は心のどこかで知っている。