川村 みきをのメモ帳

日々のアウトプットをメモっています。

『恐怖』と【痛み】の反対側CR033

【反応性】だけで生きている人は『恐怖』と【痛み】で動く。

【反応性】だけで生きている人が、やるべき仕事、やらなければならない事柄をちゃんとこなしていく為の一つの方法として、 『恐怖』と【痛み】があるということ。

 

でも、『恐怖』と【痛み】は緊急の一時的な措置にはなるが恒久的な効果はない。

 

ちと難しいかもしれないので、噛み砕いてみると・・・

例えば、学校の課題の提出。

11月10日までに提出する課題があって、なかなか手が付けられずにいたが、今日が11月9日で後一日しかない。

そんな時に頭に浮かぶのは、課題を提出しなかったら…

「先生に怒られるだろうな…」 「単位を落とすかもしれない」 「単位を落とせば卒業出来ないかも…」 「卒業出来ないと親に悪いな…」 「卒業出来ないと援助してもらえないかも」 「ダメな奴って思われたくないな…」 「これまで続けてきたから止めたくないな」

これらは『恐怖』だ。

そして、実際に課題を期限内に提出出来なかった時には、

【先生から殴られた】 【親から怒られた】 【仕送りを減らされた】 【友達に馬鹿にされた】 【授業に出してもらえなかった】

これらは【痛み】だ。

わたしの経験にあてはめると、添乗員として担当する旅行の行程やホテルやバスなどの確認を怠ると

「お客様に怒られるかもしれない」 「上司に怒られるかもしれない」 「クレームが発生するかもしれない」 「給料が下がるかもしれない」 「クビになるかもしれない」 「クビになったら路頭に迷うかもしれない」

これらが『恐怖』。

そして、実際に旅行の行程やホテルやバスの確認を怠った時には、

【お客様にメチャクチャ怒られた】 【上司に怒鳴りつけられた】 【クレームが発生して嫌な思いをした】 【給料が下がった】 【クビになった】 【職がなくなり生活が困窮した】

これらが【痛み】。

 

この『恐怖』と【痛み】で、【反応性】だけで生きている人は動く。

 

だけどこれらは一時的な緊急の措置になるが、長続きはしないと言った。

それは、『恐怖』には慣れてしまうという事や『恐怖』が現実にならなかった時や【痛み】が想定したより辛くなかったら、『恐怖』や【痛み】といった、【反応性】だけで生きている人を動かす源泉が弱まってしまうからだ。

あなたもこんな経験をしたことはないだろうか?

初めて歯医者さんに行った時に、待合室に居たら、診療室から、『キーンガリガリガリ』という音が聞こえてきて『恐怖』を感じたけど、実際に治療を受けたらそんなには痛く無かったという体験。

そうすると、次に歯医者さんに行った時、待合室に居ても『キーンガリガリガリ』という音はそれほど気にならなくなったはずだ。

つまり、一度体験すると人はその『恐怖』の正体を知り、そこに『恐怖』を感じなくなる。

だから、【反応性】だけで生きている人を自らがあるいは他者が動かす時に、『恐怖』や【痛み】は一時的なものにしかならないということなのだ。

では、【反応性】だけで生きている人が自らがあるいは他者が動かす他の源泉は何があるのか?

それは、『利益』と【快楽】だ。

【反応性】だけで生きている人は、普段は外からの働きかけをただ待っている。

そして外から何か働きかけを受けると、それに『反応』して動き出す。

例えば、親や先生や友人などから、「仕事しなさい。」と言われると、それに反応して仕事を探し出すといった具合。

ここにタイムラグが発生して、「仕事しなさい。」と言われて、数ヵ月後に仕事を探し出すといった事が起こると働きかけではなく、まるで自発的に仕事を探し出したかのように見えるが実は必ず誰かにあるいは何かから働きかけを受けて行動をしているのだ。

そしてこの【働きかけ】の種類が重要になる。

例えば、この【働きかけ】が、『恐怖』や【痛み】なのかそれとも、『利益』と【快楽】なのかによって、その後の行動がずいぶん違ってくる。

例えば、「仕事しなさい。」という働きかけの中には、

・仕事をしないとご飯が食べられないよ ・仕事していない人はダメな人間だよ ・仕事していない人は養えないよ ・私も仕事してるんだから貴方もしなさい

とかそういった『恐怖』や【痛み】の要素が含まれていることが分かる。

このケースの時、あなたが生まれて初めてこの「仕事しなさい。」という言葉を言われたら、この言葉の裏にある『恐怖』や【痛み】の要素を感じとり行動に移しやすくなる。

何故なら、直ちに仕事をしないと、ご飯が食べられなくなったり、ダメ人間になったり、養ってもらえなくなったりすると本気で信じるからだ。

だけど、どこかでそうでもないと知ると、次に同じように「仕事しなさい。」と言われても、「仕事をしなくてもご飯は食べられてるし、仕事をしていない人がすぐにダメ人間になるわけでもないし、今、養ってもらっているし大丈夫。」という反応を起こして『恐怖』を感じなくなる。

すると次に行動を起こす時は【痛み】を感じた時だ。

だけどその時は既にもうギリギリの状態になっているはずだ。

何故なら、『仕事をしない』ことで感じる【痛み】というのは相当な末期症状だからだ。

そうなる前に取れる手段というのが、【反応性】だけで生きている人を自らが、あるいは他者が動かす源泉となるのが、『利益』と【快楽】ということになる。