川村 みきをのメモ帳

日々のアウトプットをメモっています。

一緒に仕事をしたくない人CR040


以前一緒にsbccで仕事をしていたクリエイターのMAさん。
それまでは有名ハンバーガーチェーンで十数年間アルバイトを続けながら地道に制作活動を続けてこられたわたしより3つほど年上のクリエイターです。

sbccを始めて1年くらいでアルバイトを辞められたそのクリエイターがいつも言っていた言葉がある。


それは「あの娘、使えないわ~。」


である。

全員でやったミーティングの時、
スカイプでのミーティングの時、
クライアント先での打合せの時、
飲み会の時などいつでもMAさんはそんな事を言っていた。


わたしはいつもこの口癖に不快感を感じていた。


最初は聞き流していたんだけど、途中からは優しくソフトに横槍を入れて対応するようにした。

「そうですよね、あの娘は使えないからその分、他の方にも更にMAさんを使ってもらえるようにしましょう!」


とか、


「そうですね、MAさんの言うとおりですね、わたしも[あの娘は使えない]というのは使えないと思いますよ。だって人が人を使うって表現自体がまず、使えないですよね。」


とか、


ソフトに横槍を入れていた。


ここで【感受性】や【知性】を持って生きてる人なら、わたしの意図を汲み取り、素敵な返しをくれるはずだと期待したが、残念な事にまだMAさんの【感受性】も【知性】も姿を潜めていて、思いっきり、【反応性】で反応した言葉を返された。


「使えない人の事を使えないって言って、何が悪いのか分かりません。」


「わたし達は制作の仕事をしているので、その制作がちゃんと出来る出来ないで判断して何がいけないのですか?」


とキレられた。


ここでわたしは紳士になり、「いや、私が悪かった続けてくれたまえ」と、言えばよかったのだが、わたしもまだ全然未熟で更にソフトに反論を加えた。


そこから先はもう言い合いである。


これはどちらが悪いか悪くないかは審判がいないので決める事は出来ない。ただ分かっていることはお互いが見ている視点が全く違っているということ。

 

まず、MAさんが見ている視点は、・制作の仕事がMAさんにとって円滑に回るようにすること
で、わたしが見ている視点は、


・人道的なことと言われた相手への配慮とチーム全体の雰囲気をよくすること


だ。


双方の意見が食い違うのは見ている視点が全く違うということが原因。


つまり、東京の世田谷区に住んでいて、行動範囲が自宅近辺だけで、食べるものはいつもお肉ばかりの人に


「牛一頭を育てるのにかかる穀物を貧困に喘ぐ発展途上国の人にまわせば世界から飢餓がなくなります、だからわたし達は肉ばかりを求めずに、穀物を美味しく食べる事が大切です。」

と、説いたところであまり伝わらない事が多い。


何故なら、行動範囲の外で起こっている事に人はあまり意識を向けられない。それが【反応性】の習性でもある。向けられても「あぁそうなんだ・・・」で終わってしまうことが多い。


【反応性】だけで生きている人の視点はいつも目先の事が重要になっている。
例えるなら虫の目だ。

虫の目で見る物事は視野がとっても狭い。

視野が狭いから周りで起こっている事に目が届かない。

だから制作の仕事の流れにおいてMAさんが想定する円滑な流れを妨げる人は、(MAさんにとって)使えない人になるのだろう。


世田谷区に住んでいてそこからほとんど出た事が無いから、世界で貧困に喘ぐ人の事などまるで実感出来ない。自分自身が肉を食べたいから食う。それの何が悪いのかという基準が生まれる。


じゃあわたしが一緒に仕事をしたくない人は、そんな視点が違いすぎる人、つまり【反応性】だけで生きている人なのかというとそれはちと違う。


わたしが一緒に仕事をしたくない人というのは、こんな人だ。


それは、【反応性】だけで生きている事に何の疑問も抱かずに平然と生きている人。

 

それでもわたしはMAさんに同情した。
何とか彼女にわたしの意図を伝えようと、まず始めに彼女の意図をひたすら聞く事にした。


何故なら、MAさんも昔は【反応性】だけではなく、【知性】や【感受性】を捨てていなかったはずだから、何がMAさんから【知性】や【感受性】を奪ったのかを熟考した。
そして一つの仮説に辿り着いた。