クリエイティブアボイダンス(創造的回避)についてCR016
どうやら『サイト制作』に対してクリエイティブ・アボイダンスに陥っている。
そしてこの数日間、時間がある時は、「何故?サイト制作に対して、クリエイティブ・アボイダンスが作動しているのか?」そんなことばかりを考えていた。
心理的抵抗にあうと抗えないその理由
クリエイティブ・アボイダンスが作動している時に、何か作業をすると高い確率で失敗してしまう。やる気の無い時の作業ほど身が入らないものは無いだろう。
だからやる気が出ない=何らかのクリエイティブ・アボイダンスが作動中こんな状態の時は手をつけないことだ。そんな状態で気がついた事がある、それは、
『わたし自身がこれまで行ったサイトの制作は、いつも誰かに承認される為の作業だった。』
と、いうこと。
どういうことかと言うと、サイト制作を覚え始めた頃は、勤めていた会社の同僚に見てもらう(承認される)為にサイト制作をしてたし、独立してからはクライアントにOKをもらう(承認される)為にサイトの制作をしていた。
つまり、わたしはわたしの意思でサイトの制作をしていたのではなく、常に自身以外の誰かの意思でただサイト制作をさせられていた・・・ということだ。
それは、サイト制作のイロハを習得する為、または、金銭という対価を受け取る為それらの為に常に、わたし自身以外の第三者に認めてもらうその為に時間と労力を使いサイトを作り続けて来たのだ。
第三者に認めてもらうための作業ほど心底愛せないことはない
だから今、パソコンに向き合い、いざサイトを制作しようとすると手が止まってしまう。 何故なら、今回は承認してくれる人が居ないから。
会社の同僚も居ないし、すぐにお金を払ってくれるクライアントも居ない。
知識はある、最新の情報の取り方も知っているし、HTML5のタグもほぼ理解しているし、CSS3(スタイルシート)も読める。 そして、最速のマシンも完備している。指だってちゃんと10本揃っている。
技術的・物理的には全く問題ない。
なのに、先に進まないのは、わたしがやってきたサイト制作はいつも『他人に認めてもらう為だけの作業にすぎない』そんな虚しい作業だったのだ。
これは、以前お伝えした、【武田さんと行く、1時間950円もらえる旅】【松本さんと行く、色塗りで7万円もらえる旅】の副作用と言っていい。
この二つの旅は一見すると出来る事をやって一時の安定が手に入るか、ある程度まとまった金銭が手に入るかのどちらかだ。
ただ、それらは自分自身の才能を誰か他の人の基準で、買い叩かれているということに気づいたほうがいい。
2004年からやってきた、「認めてもらう為のサイト制作作業」は、知らず知らずのうちにわたしの深層心理に深いトラウマを抱かせていた。
よく、ウェブデザイナーの個人サイトで、「わたしがこれまで制作したサイト一覧」というのを見せられる度に、わたしは何だか嫌な感情になっていた。
それがやっと分かった気がする。
それは、「わたしがこれまで他人に承認された作品です。」と聴かされているようなものだからだ。
他者が承認欲求を満たそうとしている姿ほど見たくない姿はない
わたしが自身で事業を始めて間もない頃に、一流の婦人雑誌の出版社数社と契約してイラストを描いているイラストレーターの方と食事をさせていただいた事がある。その際に、彼女からこんな話を聴いた。
「よく若い子が自らのポートフォリオを持ってきて、『このイラストはどこどこの雑誌に掲載されました。』って言って、ご丁寧に掲載雑誌名や年月日を書いているけど、そんなのを見ていると本当に悲しくなるわ、だって、そんなの他人の判断でしょ?それって、その子の才能をその子自身が認められないから、他人の判断が重要だって言っているようなものじゃない。」
実はわたしもこの時、同じような事をしていた。
自身のサイトに[ これまでの制作実績 ]と書いて、クライアントに承認されて納品したサイトの画像をはって、リンクを貼っていたのだ。
だって、他の制作会社はみんなそうしているし、それが当たり前だと思っていた疑いもせずに。
「こうしないと仕事が取れない」と思い込んでいた。自身の嫌な感情にも目を背けて。
だけど、わたしはそうやって仕事を取ってきた。そんな実績から他の人にもそうする事がまるでいいように勧めて来てしまった。
そして気づいた時には、わたしはサイト制作が大嫌いになっていた。
嫌いなら見ない
その頃から、全てのサイトが全部クローズしてしまった。
これらは全て他人の判断でわたしが制作したサイトだったから、そんなものを公開している自分が何だかとても恥ずかしく思えたのだ。
そういえば、承認を得られるサイト制作以外の制作はわたしは今まで、やったことがない。
今回のサイト制作は、誰かに承認を得る為の作業ではなく、自身のゴールに辿り着く為の、大切な仕事のひとつなのだ。頭ではそのことを理解出来ている、それなのに先に進まないでいたのは、このことが原因だったのだ。
今になってようやくその事がわかった。そして今、少しずつだけど、リハビリをしている。