川村 みきをのメモ帳

日々のアウトプットをメモっています。

恋と革命に生きるCR006

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「若い時こそ、〝恋と革命〟に生きなさいよ。」

 

これは、東京ビッグサイトで開催されたイベントで瀬戸内 寂聴せとうち じゃくちょうさんの講演を聞いていて響いてきたたフレーズ。30歳で徳島県から〝物書きとして生きていく〟と決めて上京された瀬戸内 寂聴せとうち じゃくちょうさん。

徳島県から上京して物書きとして生計を立てるまで

 

上京してすぐに多くの出版社を回ったがなかなか直ぐには生活出来るまでに至らなかったという。

そんな苦しい時期に出版社の社長から生活の為の職を紹介されたそう。

その職というのは、ある中学校の教師の仕事。

教師であれば、時間もある程度定まっているし、ものを書く事もそれほど遠くはないのではという提案だった。

東京女子大学で教員免許も取っていて、もともと教育に興味があった寂聴じゃくちょうさん。

難なく、面接もパスして無事採用。

〝 …これで、生活が楽になる 〟

そう思った途端、何かが引っかかったという。

〝 この学校はいい学校だからきっと仕事が好きになる・・・ そしてより良い教師になろうと私は努力してしまうだろう・・・ 〟

〝だけど、良い教師として生きていけば私はものを書いて生きていくことが出来なくなる〟

〝一時の安心の為に人生の貴重な時間を無駄にする事はやめよう〟

 

せっかく決まった教師の職を蹴って…

 

そう考えた寂聴じゃくちょうさんは、せっかく手に入れた教師という就職口を惜しげもなく断ったそうだ。

それから、90歳の今までの60年間、物を書くことだけにこだわって生きてきたという。

客観的に見ればもちろん辛い時もあったし、苦しい事もあったはずだろうけど、心からやりたい事だから辛いとか苦しいとか考えたことも無かった。

むしろ、妥協してやりたくない事を長い間やり続けることを考えたら、心からやりたい事をやって、もがいているほうがずっと幸せだという。

そして90歳になった今、とても正しい選択だったと振り返る寂聴じゃくちょうさんの目は輝いて見えた。

いまとは全く違う社会環境下でもひるむこと無く…

 

今から60年前の戦後間もない頃、女性の社会的地位も低く、〝女性は家庭に入るもの〟といった価値観が蔓延まんえんしていたあの頃・・・

インターネットも無かったあの頃にそんな風に考えて実行していくなんて、なかなか出来ないことだろう。

寂聴じゃくちょうさんは言っていた。

「今の若い人たちは自由をはき違えていると思うよ…」

「これだけ、何もかもそろった素晴らしい時代に生きているのにどうしてつまらなさそうな顔してるの?」

と。

90歳になっても、4千人を前に電子ブックについての講演を引き受けて、実に楽しそうにニコニコと好きな事をしゃべっている寂聴じゃくちょうさん。

わたしの年齢の倍を生きた彼女の言葉は実に真意を突いていた。

 

人生の大先輩から学ばせていただくことの偉大さに気付く

 

ここ数年、わたし自身、好きなように生きてきたと思っていたが寂聴じゃくちょうさんの話を聴いて、わたしなんて全然たいしたこと無かった。決められた枠の中で出来ることしかやって来なかったように思う。

周りが見渡せる安全だと思えるような狭い枠の中で、自分が出来る事だけをやってそれで満足していた自分が恥ずかしく思えた。

彼女は右も左も分からない、先が全く見えなかった当時の出版業界で実にたくましく自分自身の想いを貫いて生きて来られた。

いい文章が書けるとか書けないとか、字が綺麗とか字が汚いとか、そんなことは全然気にしなかったらしい。むしろ、やりたいからやっただけなんだと。ちなみに、当時の出版業界で字が汚いベスト3にいつも寂聴じゃくちょうさんは入っていたそうだ。

 

やがて講演が終わり、質問タイムに移って、ある若い男性が手を挙げて質問を投げかけた。

「私みたいな凡人には寂聴じゃくちょうさんのお話が凄すぎて半分も理解出来ていないのですが・・・どうすればもっと自由に生きていけますか?」

漠然とした質問だった。それを聞いた、寂聴じゃくちょうさんは、

「凡人って誰が決めたの?自分の事を凡人だなんて言うもんじゃないわよ!天才かもしれないでしょっ!」

と怒っていた。

確かにそうだな。

自分はダメだ出来ない凡人だ・・・と決められるのは他でもない自分自身なのだ。

 

『天才かもしれないでしょ!』

 

確かに…