川村 みきをのメモ帳

日々のアウトプットをメモっています。

そもそも、コミュニケーションっていったい…|りんごのイラストのお話04CR011

 

コミュニケーションって相手を操作することじゃない

 

 

深夜バスで青森県まで行って、イラスト制作の案件を受注した彼女の話は当時、仲間内でもしばらく話題になっていた。

他の人達は彼女の行動力を褒め称えたが、わたしは思い切った行動に出るだけの十分な情報を入手出来る彼女のコミュニケーション力の高さを評価した。

そしてこの話を何人かにした事がある、その時ある人からこんな事を言われた。

「私もコミュニケーションには自信がありますが、コミュニケーションだけでそういった情報が得られるものですか?」

「私の周りにはコミュニケーション力の高い先輩方がたくさんいますが、皆そんなに上手くいってなさそうですよ。」

 

コミュニケーションの定義

 

コミュニケーション力だけで人生が全て上手くいくとは限らない。

それでも、コミュニケーション力をつければ人生のあらゆる局面で最良の選択が出来る。 では、何故?コミュニケーション力のあると思われている人が上手くいってないのだろうか?

それは、コミュニケーション力はあるがめちゃくちゃ性格が悪いか、あるいはコミュニケーションというものをはき違えているかのどちらかだ。

では、【コミュニケーション】とはいったいなんだろうか?

【コミュニケーション】を辞書でひくと、「社会生活を営む人間が互いに意思や感情、思考を伝達し合うこと。」「言語・文字・身振りなどを媒介として行われる。」(大辞泉)とある。

つまり、【コミュニケーション】とは、

自分が伝えたいことだけではなく、相手の考えや状況を考慮するもの 自分と相手との関係性を把握し、双方にとって有益な情報を交換するもの

ということだろう。

 

はき違えていたコミュニケーションの定義

 

実は、わたしもこの【コミュニケーション】というものを大きくはき違えていた。

わたしが思っていた【コミュニケーション】とは、

自分の伝えたい事を巧みな言葉を駆使して相手を説得・交渉する方法 相手の感情に訴えかけて、共感を起こさせる方法

だと思ってた。

そして世の中で溢れている〝コミュニケーション上達本〟のほとんど全てには、そういったテクニックを【コミュニケーション】として紹介している。

こういったテクニックはいわば、「自分の思い通りに相手をコントロールする方法」だと言える。

こういうことはちと考えると分かる事なのに、幾種類もの書籍に【コミュニケーション】とは、

自分の伝えたい事を巧みな言葉を駆使して相手を説得・交渉する方法 相手の感情に訴えかけて、共感を起こさせる方法

と書かれているとあたかもそれが真実であるかのように錯覚してしまう。

コミュニケーションというものについて考えてみると…

ちと、考えてみよう。

わたしの中に伝えたい事ややりたい事があるように、当然相手にも聴きたい事ややりたい事がある。

そういった「伝えたい事」・「聴きたい事」は一言で【意図】という表現に置き換えられる。

そういった観点から、コミュニケーションとは、本来、双方の意図を把握して、両者にとって有益な情報をやり取りするための方法の事をいう。

「私はコミュニケーション力があるっ!」と豪語している人や、傍から見て、〝コミュニケーション力が高そうに見える人〟は、実はコミュニケーションそのものをはき違えている可能性が高い。

良く喋り、雄弁に語っている人はスピーチが上手い人であって、コミュニケーション力が高い人ではないのだ。

もっともわたし自身もコミュニケーションというものをはき違えていたので偉そうなことは言えないが・・・

 

コミュニケーションの定義をシンプルにいえば…

 

【コミュニケーション】とは、【意図】を伝達し合うこと

 

そう考えると、「自分はコミュニケーション下手だ」「相手に自分の思いが伝わらない」と悩んでいるなら、その原因は実は口下手などではなく、そもそも自分と相手の関係性を把握せずに、無理やり自分の【意図】を伝えようとしているから。

あるいは、自分自身の中に【意図】が存在していないかのどちらかなのだ。

うん…思いっきり心あたりがあるわ…