りんごの隣に描かれていたのは…|りんごのイラストのお話02CR009
引越しの最中に見つけた『りんごのイラスト』の案件の資料で、採用されたりんごのイラストの隣に描かれていたモノは、縁側に座ってりんごを磨いているおばぁちゃんのイラストだった。
これだけだとありがちなイラストの構図なんだけど、この案件のストーリーはちと奥が深い。
彼女行動の源泉にあるもの
この『りんごのイラスト』制作の案件の話を複数のイラストレーターにした時、ほとんどのイラストレーターは、どのようなりんごのイラストを描くかをイメージしたり、実際にラフ絵を描いたり、ネットでりんごのイラスト手本を探したりしたそうだ。
ただ、結果的に案件を手にすることになった彼女だけは違った。彼女は発注元であるクライアントのところ、つまり青森県まで深夜バスですぐに行ったそうだ。
そして、りんご農園に行って、実際にりんごの木を見て、りんごを収穫している人たちに話を聞いていた中で、ある農園は収穫したりんごを一つ一つ丁寧に磨いて出荷するということを知ったという。
そのりんごを磨いている風景をその場でスケッチブックに描かせてもらったそうだ。そして、描いたスケッチに色をつけて整えたイラストが、この案件のメインになった〝縁側に座ってりんごを磨いているおばぁちゃんのイラスト〟なのだ。
その他大勢と彼女の違い
この行動力は目を見張るものがあるが、本人は至って普通の顔して話していたのを覚えている。
確かこの青森県のりんごのイラストの案件がキッカケになって彼女は当時、正社員で勤めていた印刷会社を退職して、そこからフリーのイラストレーターとして活躍している。
彼女の画力は失礼だけど他に比べて特に優れてもいないし、秀でてもいない。
使っている画材もパソコンも他の人と大差はない。パソコンのスキルだって、至って普通だ。学校も他の皆と同じように専門学校を卒業しただけの学歴だ。
では、彼女はその他大勢の人たちと何が違っていたのだろうか?
ただ一つの違いはコミュニケーション力が他の人達に比べて高かったということ
わたしはその彼女には4回ほど会っているし、一度、お仕事をご一緒した事がある。 そして、彼女を観察していてその他大勢の人たちと決定的に違っている一面を見つけた。
本人にも尋ねたので間違いないと思う。
では、彼女がその他大勢の人たちと決定的に違っている一面とは…
それは、〝周りとちゃんとコミュニケーションが取れていた〟ということ。
これは、どういうことかというと、
飛び抜けた行動力がもたらしたものは、
案件を受注した彼女が直ぐに青森県まで夜行バスで行けたのも・・・
農園の方にちゃんと歓迎されて迎え入れられたのも・・・
迷い無く発注元に受け入れられたのも・・・
全ては、彼女の元に発注元の詳細な情報や発注の経緯など、案件に関わるほとんど全ての情報が行き渡っていたということ。だから彼女は躊躇すること無く、夜行バスのチケットを手に入れて、発注元まで行くという思い切った行動に出る事が出来たのだ。
これは彼女自身が活動しているチームの輪にちゃんと入っていたということだ。 つまり、コミュニケーションがしっかり取れていたということに他ならない。
やっかみとひがみはつきもの
この案件を担当するイラストレーターが彼女に決まった直後、昨年までこの案件をずっと担当してきたイラストレーターを始めとした3人のイラストレーターから、我々にクレームが入った。
その内容は、〝何故?彼女(案件を受注したクリエイター)にだけ発注元の詳細な情報を教えたのか?〟というもの。
そのクレームを受けても我々には意図的に彼女(案件を受注したクリエイター)にだけ、案件の詳細を教えたという感覚は無かった。
ただ、自然に普段の会話の中で、メールのやり取りの中でそのような話が出たりしてその結果、彼女(案件を受注したクリエイター)にだけ、案件の詳細が伝わっていったのだろう。
平等になんて理想
ここで気がついたのだけど、案件を管理していた人は様々な案件を抱えて動いていた。
そんな状況下で関わっている全てのイラストレータやデザイナーに平等に接することなんて出来ないし、イラストレータやデザイナーだって抱えている日々の案件やその他の労働に追われている人も多かったので、必要最小限度の接点しか持たなかったし、それが当然だと思っていた。
会社組織でもそうだと思うが、社内政治に長けた人やアクティブに活動している人に情報が集まるが、自分の仕事の範囲しか見えていない人には情報はやってこない。
つまり、情報って意図的に取りに行かないと手に入らないもので、万人に平等に与えられるものでは決して無い。
彼女(案件を受注したクリエイター)が違ったのは、どのような状況下でも積極的に情報を持っている我々とコミュニケーションを図っていたということ。
コミュニケーションの手段は様々
それはメールだったり、電話だったり、実際に会って話をしたり。
その当時、彼女は一般の会社員だったわけで9時から18時の勤務があったわけで、その合間をぬぐってよくコミュニケーションを取っていた。
我々もそれを普通に受け入れていた。
普段から接点が多ければ自然と流れが出来る
そして、思い返せば様々な案件の話が来た時は自然とその彼女に電話やメールをしていた。
それは普段からコミュニケーションが取れているので話しやすいし、メールの返事が早いという理由からだ。
だからこの青森県のりんごのイラストの案件の時も、特に意識をせずに彼女にだけより詳細な情報を我々は伝えていた。
それが、彼女が深夜バスで青森県まで行き、話を聴き、スケッチを描き、そして案件を受注する結果につながったのだ。
クレームをつけてきたイラストレーター達は、特に意識してコミュニケーションを取ることをして来なかった。 だから彼らには限られた情報しか落ちてこなかったわけだ。
「私も発注元の詳細がわかって、先方に連絡を入れてもらえるなら青森まで行っていたかも知れません。」
と、言っていたイラストレーターがいたが、それは全て結果論だ。
〝知っていたらやっていた。〟というのは言い訳に過ぎない。後付の都合のいい考え方だ。
そういった事からわたしは彼女(案件を受注したクリエイター)からとても大きなモノを学んだ。
そして最も興味を持ったのは、彼女(案件を受注したクリエイター)は、その時は自然とそういったコミュニケーションを取っていたのだろうか?ということと、彼女(案件を受注したクリエイター)は始めから高いコミュニケーション能力があったのだろうか?というところだ。
さて、彼女(案件を受注したクリエイター)は始めから高いコミュニケーション能力があったのだろうか?