川村 みきをのメモ帳

日々のアウトプットをメモっています。

受けとめ方の違いCR025

同じ出来事を受けても、片方は【約束は守らなければならない】とクリエイティブ・アボイダンス[創造的回避]を発動させてしまったが、片方は【約束は守るもの】と、いい経験を積めたと、更に高いレベルでコミュニケーション能力を磨いていきクライアントとのつながりを深めていった。

【約束は守らなければならない】

と受けとめたわたしから見れば、

【約束は守るもの】

と受けとめた3人はなんて、意志が強い3人なんだろうと思った。

だけどそれは、【約束は守らなければならない】と受けとめたわたしからの視点で、当人達は実は【約束は守るもの】とさえ受けとめてはいなかったのだ。

クリエイティブ・アボイダンス/創造的回避が発動しなかった3人は起こった出来事をただ、純粋に素直に感じ取っていたのだ。

これはどういうことかと言うと、例えば、わたし達は携帯電話を使える。

携帯電話の通話機能やメール機能をわたし達は難なく使えるだろう。

だけど、生まれて初めて携帯電話を手にした時の事を思い出してみてほしい。

一瞬、戸惑ったのではないだろうか?

でも、次の瞬間に「これって電話?」と感じ取ったのではないだろうか? そして、少し見たり触ったりして、やはり「あぁこれは電話なんだな」と、感じ取ることが出来たのではないだろうか?

何故なら、数字のボタンの配列とか、受話器を上げているマークや受話器を置いているマークを見て「何か知ってるこれは電話だな・・・」と感じたのではないか?

「でも、iPhoneを初めて見たときはこれは電話なの?って思った。」

という人も多いだろう。わたしもそうだった。

「何でボタンが一つなんだ?」

と、思った。

でも、画面をタップして、電話モードでキーパッドを選択した時、

数字のボタンの配列とか、受話器を上げているマークや受話器を置いているマークを見て

「これは電話だな・・・」

と感じることが出来たはずだ。

これが【感じ取る】ということだ。

もし、この【感じ取る】という能力がなければ、携帯電話を初めて見たとき、それがいったい何なのかまるでわからない。

その時は、人に聞いたり、取扱説明書を見たりして知ることになるんだけど、これではいちいち大変だ。

受話器を上げるボタンと受話器を置くボタンそして0から9の数字の羅列を見て、これで「電話だな・・・」と感じられないというのは新たな出来事や物事に出会う度にいちいち大変で面倒くさい。

コミュニケーションを取ろうとメールを送っている相手にわたし達がメールをどんな理由にせよ返さなかったということで、コミュニケーションが不成立になって、結果、sbcc|自分ブランド名刺の制作に支障が出てクライアントが悲しむ結果になった。

と、いう出来事を素直に感じ取っていて、相手が受けたであろう、期待に対しての失望感やその結果生じた幾つかの障害。

例えば、今回のsbccのクレームのケースであれば、ピアノ講師として独立して、これまでピアノを教えてくれた恩師主催のパーティでsbcc|自分ブランド名刺を配り、恩師を始め支援してくれた多くの人に感謝を伝えたかったという想いや、人生初の就職活動で自分自身の事を上手く相手に伝えられなくてそんな時に、周りの就職活動生が名刺を持って活動しているのを見かけて、「私に合ったいい名刺ないかな~」とネットで探してみたらsbcc|自分ブランド名刺というのを見つけてそれで申し込みをしてずっと待っていたのにとうとう自身のsbcc|自分ブランド名刺が出来上がることが無く、人生初の就職活動で自己PRで使いたかったというそんな残念な想い・・・・・・・・・・

これらの人が抱く希望や期待を、どんな理由があるにせよ、わたし達は踏みにじってしまったという事実。

クリエイティブ・アボイダンス/創造的回避が発動しなかった3人はその事実を、事実として捉えたのではなく、感覚として捉え【実感】したのだ。

つまり、相手が受けたであろう心の痛みを、この3人は感覚として【実感】したのだ。

そして、当然の事のようにそこから先、二度と同じ失敗を繰り返すこと無きよう、受けたメールは出来るだけ素早く返す、電話を受けて出れなかったら出来るだけ素早く折り返すという事を意識することなくやっていったのだ。

【事実と実感は違う】

この3人以外の少なくともわたしを始め、何人かのsbccのクリエイターは、sbccのクレームという起こった出来事に対して無意識に「悪いことしたな・・・」と思ってそして、次の瞬間に、【約束は守らなければならない】と考えてしまった。 一瞬は感覚で捉えかけたのだが、すぐに思考が働き頭で考えてしまった。

つまり、同じ出来事が起こって、一方は起こった出来事を感覚で【実感】し、一方は事実に対して考えた。

そして、そこから取った行動はまるで違った。

【約束は守らなければならない】と考えてしまったわたし達のこの考えの原点にあったのは、幼い頃に学校の先生や親から教え込まれた道徳だった。

制作の依頼を受けて、一度でも「やります」と約束をしたにも関わらず、

メールを返さなかった事で結果、約束を破ってしまうことになって、相手を悲しませてしまった事に反応したのは、幼い頃に受けたこの道徳の教えが原点になって、無意識で過去の記憶にアクセスして得た答えがこの、【約束は守らなければならない】という、道徳の教えだったのだ。

だから、頭で理解しているのだが、頭で理解しているだけで、実行が伴っていかないのだ。

何故なら、わたし達は何故?何の為に?約束を守らなければならないか?を心底感じ取ってはいなかったのだ。

ただ、幼い頃受けた道徳の教えや、その後に親や先生や先輩や友人達、または、漫画などでそういうものなんだとぼんやり理解しているから、頭では理解出来ていても、心の奥底に落とし込めなかった。

だから、【約束は守らなければならない】となり、クリエイティブ・アボイダンスが発動してしまったのだ。

逆に、クリエイティブ・アボイダンスが発動しなかった3人は幼い頃に受けた道徳の教えにアクセスする前に状況を感じ取り、相手にとって最善の方法を実行出来た。

この違いは、

【感受性(かんじゅせい)の強さ】だ。

起こった出来事を考えるか感じるか。

そしてもう一つ大きな違いがある。

それは・・・・・・

【感受性の強い人】はいつも、『意識が外側に向いている。』ということ。