心が色褪せるということは?CR048
『自分の都合を満たす為』に、『自分の欲を満たす為』に職に就き、作業を進める事自体が悪いわけじゃなく、問題なのは、
『自分の欲を満たす』
というGOALが達成された後も惰性でその作業を続けてしまう事。
それはMAさんやわたしの事例を見ればよく分かるだろう。
人はどんな人でも、本能でGOALに向かって生きている。
人はどんな状態の時でも、GOAL無しじゃ生きられない。
ただ、それを意識しているか、意識していないかだけの違いだ。
今日起きたのも、仕事に行く為に起きるというGOALが存在したから起きたはずだ。
そして、家を一歩出たときも、駅に向かうというGOAL。
会社で作業をしている時も、この作業を片付けて上司に報告するというGOAL。
人はいつどんな時でもGOALに向かって生きている。
ただ、多くの人は向かうGOALを自然発生した流動的なGOALにして生きてしまっている。
それはどういうことか?
MAさんのケースなら、ハンバーガーショップでアルバイトとして働くことを選択したのはMAさん自身だが、その先にあったアルバイトリーダーになり、新しく入ってきたアルバイトの娘の管理をすることや、ねずみを揚げてしまった油でポテトを揚げ続けることは、MAさんが設定したGOALではなく、そこから派生した流動的なGOALである可能性が高い。
何故か?
それはMAさんがハンバーガーショップで働くというGOALが自身の『生活費を得る事』だからだ。
つまり、MAさんがハンバーガーショップで働き始めて生活費を得たらあるいは、生活費を得られる状態が生まれたら、それでもう既にMAさんはGOALに辿り着いているのだ。
MAさんのGOALは『生活費を得る』事だけで、そこにはアルバイトリーダーになり新人の娘を管理することも、ねずみを揚げた油でポテトを揚げ続けることもMAさんのGOALではないということ。
流動的なGOALを簡単に言えば、渋谷に仕事の為に必要な書籍を買いに行って書籍を買った帰りに、109でバーゲンをやっていたので
つい引き寄せられるように入ったら、可愛い服がたくさんあって時間を忘れて服を選んでしまって、服を選ぶのに疲れてカフェでまったり過ごしたりして一日の大半を使ってしまったという場合、
設定したGOALは『渋谷で書籍を買う』、流動的なGOALは『109でバーゲンでいい服があれば買う』と、もう一つは『カフェでくつろぐ』だ。
そんな時は「無駄な買い物しちゃった」と軽い後悔をしたことはないだろうか?
MAさんのGOALは『生活費を得る』事だから、『生活費を得る』為には、ハンバーガーショップでの作業に含まれる新人のアルバイトの娘の管理をするというGOALも、上司の指示(この場合指示が正しいか間違っているかは問題ではない)に従うというGOALも、『生活費を得る』というGOALに含まれるのではないか?
と、いう意見もあるだろうが、これは、ある意味正しいがある意味間違っている。
(と、ここまでは昨日間違って2通送ってしまった先のメールに書いたことだ。)
その自然発生した流動的なGOALに、MAさんは向かってしまう時、きっと様々な葛藤があったはずだ。
「この新人のアルバイトの娘は、私みたいに生活費の為だけに作業をしている人に管理指導されたいかな?」
「ねずみを揚げた油で揚げたポテトを食べた人はお腹を壊さないだろうか?」
「休日だから公園には親子連れが多く来ているから子供がそんなポテトを口にしたら可哀想だな…」
といった事が頭に心に浮かんだはずだ。
でも、MAさんがその時にいた環境では、MAさんの思想より組織の思想が優先され、MAさんは上司から与えられたGOALを
まっとうしなければならない。
もし、拒否すればMAさんのGOALの『生活費を得る事』が維持されなくなってしまう恐れがあるから、MAさんは割り切って、上司から指示された事を実践しなければならないだろう。
この時の上司指示の内容が良い事か悪い事かはここではあまり重要ではない。
MAさんにとって重要なのは、アルバイトをすることのGOALである『生活費を得ること』を維持する為に不本意でも流動的に発生したGOALに向かってしまうかどうかという点だ。
そして一度でもそんな自身の意に反したGOALに向かって辿り着いてしまうと、そこからは先は流動的に自然発生したGOALに向かうことに辿り着くことに何の抵抗も躊躇も持たなくなる。
つまりこれが『一線を越えてしまった』ということだ。
そしてそこから心が色褪せていくのだ。