川村 みきをのメモ帳

日々のアウトプットをメモっています。

一線を越えてしまうということCR049

当初の予定だったGOALを達成した後に、あるいは当初の予定だったGOALを達成する過程で流動的に発生したGOALが、
もし、自身の意に反している、あるいは不本意だとしても、当初の予定のGOALを維持する為に仕方なく向かってそして、辿り着いてしまったとしたらそれが、


『一線を越えてしまった』という事になる。


これがMAさんの例で言えば、『生活費を得る事』というGOALのハンバーガーショップでのアルバイト。

働き出して間もなくしてこのMAさんのGOAL『生活費を得る事』は達成された。

後は、毎月毎月MAさんはこのGOALを達成し続けるために日々起床し電車に乗り、そしてハンバーガーショップへ通う。
それは『生活費を得る事』の為。

言い方を変えれば、生活費さえ得られれば、それでMAさんはGOALを達成している。

だから、接客の態度とか新人のアルバイトの管理とかそこはMAさんにとっては、どうでもいい問題なのだ。


だから、新人のアルバイトの娘が使えないといって足を踏んだり、ねずみを揚げた油でポテトを揚げ続けたりすることが出来るのだ。

何故ならこれらの行為はMAさんの目指すGOALとは関係が無い事だからだ。

MAさんのGOAL『生活費を得る事』=MAさんが家賃を払って飯が食えて生存を維持する為に必要な資金を得る事。
それ以外はどうでもいいのだ。


ただ、そうは言ってもそれじゃ社会性のカケラも無くなるので体裁だけは取り繕うのが最低限、誰でもやっている事だろう。


MAさんもこのあたりは「大人として…」取り繕えるところは取り繕ってきた。

ただ、それも『生活費を得る事』というGOALを維持する為にした事で、それ以外の感情など存在しない。

もちろん口に出してそんな事は言わず、たて前でいろいろ言うが本心は違う。

『自分の都合を満たす為』に、『自分の欲を満たす為』に職に就く事はだいたいがそういうものだ。


そして『一線を越える』とは、自身のGOALの維持の為に、


気持ちの奥底で何かが、

「ダメだ」
「やっちゃいけない」
「やってしまうと私自身が壊れる」

とサインを出している事を無視してやってしまうということ。

それはMAさんにとって、新人のアルバイトの娘を「使えない」と言って足を踏むことかもしれないし、ねずみを揚げた油でポテトを揚げ続けることなのかもしれない。

どんな些細なことでも気持ちの奥底のサインを無視した瞬間からその人の心のみずみずしさが失われていく。

そして自身の都合や欲の為にだいたいの事をやってしまうのだ。

例えばそれが、

「悪意を持って他人の悪口を言ったり」

「お世話になった人間関係を途中で一方的に断ち切って連絡を取らなかったり」

「人に迷惑がかかると分かっていても、自分の短期的な利益になると知ったら、迷いながらも実行したり」

とそれは際限がない。


そういった事を繰り返す度にその人には更なる問題がのしかかってくる。


そしてまた起こった出来事に反応して、解決出来ずに逃げていく。


そんな事を繰り返していくうちに人は少しずつ目減りしていく。

そして心が色褪せていき、【感受性】が枯れ果ててしまうのだ。


一度でも『一線を越えた人』はなかなかそのループから抜け出すことは出来ない。

そしてそのループで繰り返し繰り返し回り続ければ続けるほどにそのループはどんどん屈強になっていく。

そして、気づいた時には硬く硬くそして絡み合い、もうほどけなくなっている。


MAさんは18年間、実に216ヶ月間もそのループの中で回り続けてきた。

そして運よくそのループの外に出られた時は既に【感受性】も【知性】も朽ち果ててしまっていたのだろう。

 

一度、枯れ果てて死んでしまった土地に再び苗を植え、植物を育てていくことは想像を絶する労力と根気を求められる。


それは当然、人もそうだ。