川村 みきをのメモ帳

日々のアウトプットをメモっています。

SourGrape~すっぱいブドウ~CR074

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覚悟を決めても進まない・進めない。
気持ちが盛り上がっただけで続かない。

やっている事はhave to?want to?
そもそも何の為に何をどうやるの?

その答えは知りたいようで知りたくない。
今の価値観をDelite・削除したくないから。

【見て見ないフリ】でやり過ごし、
やがてニッチもサッチもいかなくなる。

自身をアップグレードしようと、
今やっている事をガムシャラにこなす。

もっともらしい理由を並べ立て人に、
そして自分自身に言い聞かせて、
目の前の機会から逃げ出そうとする。
現状の自分自身を正当化しようする。

そしてそんな状態はとても脆く、
誰かの一言で簡単に崩れ去ってしまう。


1997年1月4日成田発のアメリカ・ロス行き
はわたし自身の中ではもうほとんど固まって
いた。


何故なら、22歳の時に訪れた機会から
逃げ出してその後1年間苦しんだ結果、
住み慣れた大阪から東京に出て来るという
決断をした結果、見通せる世界が広がった
という体験があるから。

もっとも、その後の行動が良くなかった為、
25歳のこの時期に更に大きく壮大な機会と
なって、わたしの前に立ち塞がった。


そしてこの機会から逃げることも容易な事
じゃなく逃げるにも苦労する。

 

逃げる為には今感じている自身の劣等感を
もっと強烈なものにしなければならない。

「どうせ私なんて…」と強く自分に言い聞
かし、自分自身のイメージをもっと矮小な
ものにしていく。

多分、それだけでは逃げられないから次は、
その機会そのものを非難、否定していき、
自己正当化を計らなければならない。

ここまで行けば何とか現状を一時は維持
していくことが出来る。


これを上手く表現したイソップ寓話がある。

それは『SourGrape~すっぱいブドウ~』
というお話。


~『SourGrape~すっぱいブドウ~』


あるところにブドウ好きな狐がいました。
その狐が森を散歩していると、
とても甘くいい香りがしてきました。

見ると目の前に見たこともないような、
美しい色艶の美味しそうなブドウがたわわ
に実っていました。


でも、そのブドウは狐のところからは手が
届かずに取れません。

近くの石に乗っても届きません。
でも甘い甘美な香りが漂ってきて魅力的
に感じていますが食べられません。

そこで狐はこう考えます。

 

 1.僕は今、ブドウは食べたくないんだ。
   と言い聞かせて納得する。
 

 2.僕が食べたいのは実はブドウじゃ
   なかったんだ、イチゴだったんだと、
   自分自身に言い聞かせる。


 3.本当はあのブドウは酸っぱくて、
   美味しくないから食べないんだ。
   とブドウそのものを非難否定する。



22歳の時に訪れた機会から逃げ出したわたし
は見事にこのイソップ寓話の狐の行動を
取っていた。


1.(今は時期じゃない)


→では何時が時期なの?


2.(私がしたいのはそんなことじゃなく、
本当はこれがしたかったんだ)


→では何故?心を惹かれたの?


3.(それは・・・あの機会はよくない
機会だったんだ、あれは最悪な機会だ。)


どれだけあざとい詐欺師でも自分自身は
騙しきれないから自分に嘘をついたという
行為と対象となった機会そのものを非難し、
自己正当化を計ったという事実からは、
人は絶対に逃げられない。

その代償として人は自信を失い劣等感を
抱き、解消しない限り自信喪失と劣等感は
時が経つにつれどんどん肥大化していく。

25歳のわたしはまさにこの悪循環にはまって
悩み苦しんでいた。


そんな劣等感まみれの価値観で導き出した
方向性の正体は自身の存在を認めてもらう
為の劣等感の解消の為の淡い欲望だ。

そんなものは正しいはずもなく更に苦しむ。

この時のわたしにはこの事が痛いほど分かっ
ていた。だから周りから色々アドバイス
受けても、もう逃げようとは思わなかった。


何故なら逃げた後の苦しみはもう十分な程
体験したからまた同じ苦しみを味わいつつ
この先の人生を生きていく事なんて絶対に
したくは無いから。

だけど、25歳のこれまで逃げ続けたわたしの
価値観ではどうやればいいか分からない。

そして現状をアップグレードするという、
現状維持の強化をすると苦しくて辛いと
いう事も体験済みだ。


だったら残された選択肢は一つ。


それは【立っている場所を変える】という
こと。


今、立っている場所では進みたい未来が、
見通せないなら立っている場所を変える
必要がある。


その方法が現状の延長線上にはない
未来を選択をするということだ。


それが25歳のわたしの場合は、
アメリカに行く』だった。


その先にはどんな困難が待ち受けているか
今は知らない。

でも、この時のわたしには何も怖いものは
無かった。

何故なら、機会から逃げ続ける人生のほう
が何倍も何十倍も怖く辛かったからだ。

そして1997年1月4日の成田発のアメリカン
エアラインでわたしはアメリカに旅立った。

 

 

 


to be continued