川村 みきをのメモ帳

日々のアウトプットをメモっています。

全く異なる文化圏で育った人達CR078

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親に先生に会社に豊かな社会の環境に国に
依存しきった価値観でこれまでを組み立て
てきた【井の中の蛙】だったということを
痛感したわたしは【依存しきった価値観】を
打ち壊す為に渡米したが、すぐに強制送還
されてしまう。

それでも、そのままこの先ずっと逃げ続け
てLoser(負け犬)として生きていく道を
選択したくなかったわたしは再度渡米する。

新しい行き先はアメリカのテキサス州
キングスビルという片田舎の街にある大学。

そこで出会ったのは、全く異なる文化圏で
育った人達だった。

様々な国の様々な人種の人達と出会った中
でわたしがよく覚えている人が一人いる。

それは、バングラデシュという国からきた
ムハタグ(確か・・・)さんだ。

このムハタグさんがアメリカに来た目的は、
英語と同時にagriculture(農業)を学ぶ
ためだそうだ。

わたしが大学の構内でカフェテリアの場所が
分からずに迷っている時にムハタグさんが
声をかけてくれて、そこから幾つか共通項
があって仲良くなった。

その共通項というのは、年齢が同じ25歳と
いう事と渡米した時期が同じ日だという事、
そして、バングラデシュという国の国旗が
緑地に赤い丸で日本と似ているということ。

ムハタグさんの話す言葉はベンガル語
英語は片言のつたない英会話。


出会ったこの時期のムハタグさんの英会話
はわたしより酷いんじゃないかなという程度。


そんな状況でジェスチャーも取り入れつつ、
英語の発音が分からないから辞書を引き、
筆談しながらコミュニケーションを取って
いった。

その中で分かったことは、ムハタグさんが
渡米した真の目的はムハタグさんが住んで
いる村にアメリカ式の農業を学んで持ち
帰って、村の皆を救うことだった。

このバングラデシュという国は国民の75%
を超える人達が1日2ドル、(1997年当時、
約240円)未満で暮らしているという。

世界の基準の約10分の1の経済状況だ。


そんな貧しい経済状況下でのムハタグさん
の渡米・留学となるとそれはもうかなり
無理してきたと思われる。


実際、ムハタグさんと数日行動を共にして
わかった事が幾つかある。


それは、わたし達留学生が食事を取る場所が、
大学の構内に設置されているカフェテリア
で、朝も昼も夜もここで食べる。


朝食は3ドル(360円)、
昼食が4ドル(480円)、
夕食が6ドル(720円)

だったと記憶している。
大学の食堂としてはまぁ普通だ。


知り合いもいない、日本人もほぼいない
そんな国の大学で出会った友人なわけ
だから当然、食事を一緒に取ろうと誘う。

だけど、ムハタグさんが食事を取るのは
一日一回だ。

それも朝食か昼食がほとんどだ。

そこで一日分の栄養を摂取する。

その他の食事は食パンと水だけだ。

それでも本当にギリギリだという。
だからカフェテリアで食事を取らない
日も珍しくない。

そしてムハタグさんの持ち物にもわたしは
とても興味を抱いた。

それは、カバンや筆記具。

ノートは質の悪い薄いザラザラした紙。
ペンはアメリカで買った安いボールペンで、
書いている途中にインクが出なくなる。

そしてカバンは空港でもらった紙袋

ムハタグさんの部屋に入ってみて驚いた。

衣類もほとんど無く、机の上に食パンが
ポツンと置いてありその他には娯楽品と
呼べるものは皆無だった。


使っている道具は粗悪品で
まともな食事は日に1回、衣類も無く、
娯楽もほとんどないそんな劣悪な環境下
だけど、ムハタグさんは必死で勉強を
していた。

一日の睡眠時間は3時間から4時間。


それは傍で見ていたわたしには良く分かった。


「故郷では多くの人が貧困に喘ぎ苦しんで
います。」

「妹も病気になったけど治療が受けられず
に苦しんで死んでしまいました。」

「だから僕がこの国でちゃんと農業を覚え、
故郷に帰ったら農業を広めて皆が食べて
いけるようにしたいのです。」


ムハタグさんはわたしにそんな事を語って
くれた。


この時に受けた衝撃は今も脳裏に焼きつい
て離れない。

 

 

 

 

to be continued