川村 みきをのメモ帳

日々のアウトプットをメモっています。

先につながる宝物CR083

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親に先生に会社に豊かな社会の環境に国に
依存しきった価値観でこれまでを組み立て
てきた【井の中の蛙】だったということを
痛感したわたしは【依存しきった価値観】を
打ち壊す為に渡米したが、すぐに強制送還
されてしまう。

このままこの先ずっとLoser(負け犬)と
して生きていく選択したくはなかったわたし
は再度渡米する。

新しい行き先はアメリカのテキサス州
キングスビルという片田舎の街にある大学。

そこで出会ったのはバングラデシュという
国からきたムハタグさんというわたしと同じ
年齢の青年。

1日の生活費が2ドル(約240円)という国
で暮らしてきた彼は一日一食がギリギリで
使っている道具も粗悪品だった。それでも、
国の為に村の為に必死で勉強をしていた。

そして日本の事に興味を抱いた彼から、
様々な国からやってきた友人や知人、
クラスメイトからわたしは質問攻めに合う。

【質問】を受けて『答え』を絞り出す、
というこの行為はなんていうか、これまで
ずっと隠し続けてきた【見て見ないフリ】
をしてきたことが少しずつ露呈していく。


露呈した【見て見ないフリ】を認めながら
先に進んでいくという、この行為はいわば、
化膿した膿(うみ)を絞り出すという行為
にとても酷似していてそれは一瞬の大きな
心の痛みを伴う。

しかし化膿した膿(うみ)が絞り出された
その後は自身の治癒力で治癒されていく。

そして傷跡として自分自身を認めることで、
とても癒されていく。


痛みが去った後はずいぶん心が身体が軽く
なった。

これまでずっと苛まれていた何かこう、
【満たされない想い】というのが消えた。


これはつまり自身の為に欲するという永遠
に【満たされることの無い想い】が消えた
ということだ。


この時期のわたしの行動の全ては純粋に、
『ただ相手に伝えたい』といったそんな
想いだけだった。


テレビもネットもお洒落なお店もない、
そんな異国の土地で【思考】をフル回転
させて自身のうちにあるものを掘り出し
続けた。


【質問】を受けて『答え』を絞り出す


という単純なことの繰り返しがいつの間に
かわたしの中にあった【見て見ないフリ】を
してきたことや淡い欲望、そしてこれまで
親に先生に友人や知人や他人やテレビなど
から刷り込まれた様々な思想や価値観を
全て掘り出し尽くしてしまい、本当の意味
で空っぽになっていた。

自身の意志とは関係ない刷り込みの上に、
【見て見ないフリ】をしてそこから逃げた
時の感情、そして、他人との比較で生み
出されていった満たされない淡い欲望。


こういったものの前提の上に生きてきた
から思うように人生が進まなかったという
ことにハッキリと気づいた。


一言で言えば、『長年溜まり続けてきた、
よどんだ澱(おり)が出尽くした感覚だ』


空っぽなんだけど何ていうかとても、
満たされた清々しい気分を味わった。

まるで生まれたての赤ちゃんみたいだった。


ピュアで純粋な気持ちで過ごせた。


『ここからもう一回始めようか』


心からそう思って新しく情報を吸収して
いった。


その時に感じたのは、これまでは新しい
情報を知ると過去の価値観に照らし合わせ
「これはいい・悪い」と決め付けていたが、
この時は過去の古い価値観が無くなって
いたので、物事の本質を掴むことが出来た。


これは大きかった。


過去の古い価値観というフィルターを
通してみる物事はいつもくすんで見えて、
本質をなかなか捉えられなかったが、
フィルターが無いとこうもクリアに本質が
見えるものなのかという事に驚愕した。


この時にその後も現在も変わることがない
わたし自身の真のGOALが定まった。


このアメリカに居た1年間の間にもらった
多くの【質問】はその後、日本に帰国して
からも節目節目ごとに繰り返し自身に問い
続けてその時その時の『答え』を導き出し
その『答え』に従ってこれまでやってきた。

そしてその『答え』はいつも自分自身に
とって『楽ではなかったが楽しかった』
信じられないような奇跡を何度も体験した。


いつもありがとうと思った。

失敗も多くしたが、

いつも感謝でいっぱいだった。


もらった【質問】の数々はノートやメモの
切れ端に乱雑に殴り書きしたようなもの
だったが、帰国してそれを整理して、
自分専用のノートに書き写していった。


そしてそのノートに『答え』を書いた。


そこから就職する前に転職する前に独立
する前に悩んだ時に迷った時に満たされず
悶々とした時に【質問】に繰り返し
『答え』ていった。


そうすると不思議といい方角に導かれた。


2009年にsbccを始めて直ぐにつまづいた時、
わたし自身はもちろんチームのメンバーにも、
このノートの【質問】を書き写して、
それぞれが、それぞれの『答え』を書き込
んでいった。


いつからかは覚えていないが、そのノート
を誰かが【sbcc|未来ノート】と言った。

 

 


to be continued