川村 みきをのメモ帳

日々のアウトプットをメモっています。

進むか戻るかの二択CR076

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覚悟を決めても進まない・進めない。
気持ちが盛り上がっただけで続かない。

今やっている事に意味はあるのか知りたい。

でも、知ってしまうのも怖い。何故なら、
今の価値観をDelite・削除したくないから。

そうして【見て見ないフリ】して、
時が過ぎるのをただ待っている。

やがて『このままじゃ何も変わらない』と
いうことに気づき自身をアップグレード
しようと今やっていることをガムシャラに
こなしていく。

心のどこかで『何か違うかも・・・』と
思っても、もっともらしい理由を並べ、
それを人に自分自身に言い聞かせて。

そしてそんな状態はとても脆く、
誰かの一言で簡単に崩れ去ってしまった。

次にわたしが選択したのは価値観そのものの、
【立っている場所を変える】ということ。

それが渡米してボランティアをすることだ。

しかし渡米して直ぐに知ることになった、
親に先生に会社に豊かな社会の環境に国に
依存しきった価値観でこれまでを組み立て
てきた【井の中の蛙】だったということ。


結論から言うと渡米してから1ヶ月足らず
で日本に帰国をすることになったのだ。


アメリカで生活するのに英語が話せない。

アメリカという国で自己主張が出来ない。

コミュニケーションが取れない。

そしてそれらを克服しようとする気概が
持てなかった。


今になってわかるのだけど、その原因は、
わたしが1997年1月4日に渡米したその時点で、
わたしが幼い頃よりずっと抱いていたGOALの

【日本中に行きたい世界を見たい】
が達成されてしまったからだ。


GOALに辿り着いても走り続けるランナーは
いない。

だから渡米した時点で無気力になって
しまったのだ。

そして英語を学ぼうとしなかったし、
自己主張もしなかったし、
コミュニケーションも積極的に取ろうと
しなかった。


【日本中に行きたい世界を見たい】という
わたしのGOALは既に達成された後だからだ。

よくオリンピックに出ることが夢で、
これまで辛い練習にも耐えてきた選手が、
オリンピックが終わった後に気が抜けた
かのようになる選手が多いのはこのためだ。


初めての海外、それもアメリカはロス。
単なる観光旅行じゃなくて、ボランティア。

そしてその為に建築を学ぶ、それも英語で。

食べるものはアメリカの食事。

そしてわたしは英語が喋れない。
アメリカの食事が口に合わない。
コミュニケーションを取る気がない。

もっとも最悪なのはGOALを達成して、
気が抜けちゃっていることだ。


この後は当然の如く、クビになった。


それにしても、ボランティアをクビに
なるって結構キツイ・・・

1997年1月の末に日本に強制送還させられ
てしまった。


日本に帰国しても誰にも会いたくなかった
けど、何もしないわけにはいかないので、
何とか以前の環境に戻ろうとした。


以前相談した旅行の添乗員の派遣会社の
3つ上の先輩に相談した。

上から目線でモノを言われた。


「なっ、俺の言ったとおりだろう。」

「所詮、俺達みたいな凡人がアメリカに
行くとかそんな夢みたいな事を言うから
こんな目にあうんだよ。」

「これに懲りたらもう二度とそんな事を
言わないことだな。」


それでも、1997年2月初旬から元の仕事場
に戻れるように手配してくれた。


失意のどん底だったわたしもこの時、
その配慮が嬉しかった。


1週間ほどゆっくり思いに耽った。


『やっぱり日本が一番だ』


『身の丈に合わない事は危険だ』


『あのままアメリカに居たら
病気になってたかもしれないな』


アメリカは恐い国だったな』


『英語が話せるかどうかは事前に
ちゃんと会社が確認するべきだったよな』


『わたしは全然悪くないよな』


『大阪の友達にはなんて言おうかな精一杯
やったと言えば称えてくれるだろなぁ。』


こんな事を考えているうちに、
情けなくて死にたくなってきた。


こんな生き方なんてカッコ悪すぎる・・・


自分に言い訳して生きていくなんて、
絶対に嫌だ。


[SourGrape~すっぱいブドウ~]の原理で、
実っているブドウを取れなった狐が、
「どうせあのブドウはすっぱいんだ」と
言ったまさにあの心理だ。


実力不足で手に入れられなかったものを
非難し否定するあの心理そのものだ。


そう思ったら、いてもたっても
居られなくなり、海外留学の情報誌を
幾つか買いに行き海外留学について調べて、
留学専門の会社に電話をかけていた。

 

 

 

to be continued

 

井の中の蛙CR075

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覚悟を決めても進まない・進めない。
気持ちが盛り上がっただけで続かない。

やっている事はhave to?want to?
そもそも何の為に何をどうやるの?

その答えは知りたいようで知りたくない。
今の価値観をDelite・削除したくないから。

【見て見ないフリ】でやり過ごし、
やがてニッチもサッチもいかなくなる。

自身をアップグレードしようと、
今やっている事をガムシャラにこなす。

もっともらしい理由を並べ立て人に、
そして自分自身に言い聞かせて。

だけど、結局その行為は目の前の機会から
逃げ出す自分自身を正当化した行為。


そしてそんな状態はとても脆く、
誰かの一言で簡単に崩れ去ってしまった。


そしてわたしが選択したのは、
【立っている場所を変える】ということ。

【立っている場所を変える】こと自体は、
これまでも幾度となくやってきた。
それは、大阪から東京に出てくる。
といった物理的な立場を変えたし、
職種・職業を変えるといった行動的な
立場を変えたりもした。


でも、それらは全てにおいてその時々で
【出来る範囲内】でやってきたこと。


この【出来る範囲内での立っている場所を
変える】という事は結局少し視点がずれた
だけで見えている景色は何も変わらない。

だから、目の前にあった機会はどんどん
大きくなってずっと目の前に立ち塞がって
しまったのだ。


そもそも今、立っている場所を選んだその
元となっている価値観そのものが25歳の
わたしよりもう何年も前のわたし自身の幼い
価値観で決めたわけで、その選択が今とな
っては既に古くなっている可能性の方が高い。


だから目の前の機会を活かせずにそして、
逃げ出せもせずにもがいていたのだ。


それならその元となっている価値観、
それ自体を入れ替えないとこの先の
未来は描けないのではないのか?

25歳のわたしは漠然とそんな事を考えていた。

そして取った行動が、アメリカに行くだ。

これは物理的にも行動的にも大きく変わる。
これまでの文化がそっくり入れ替わる、
ということだ。

この時は何の根拠もなくそんな事を思って
行動した。

その時いつも考えていたのが、

「あと10年も生きられないとしたら、
このままの状態で10年間生き続けるか?」

ということ。

わたしの答えは明確な[ NO! ]だったので、
いろいろな助言や人間関係のしがらみや、
お金の問題や住んでいる所の事や言葉の
問題など様々な問題があったが、

一番は自分の人生なので迷いはなかった。

そして、1997年1月4日にアメリカに旅立ち、
ロサンゼルスのチャイニーズシアター
近くのアパートメントで共同生活を始めた。

そこから日本から行った皆で、家を建てる
ことを学ぶ為に地下鉄と路面電車で学校に
通う。

この渡米のGOALは「ホームレスの為に
家を建てること」だからだ。


そしてここでわたしは直ぐに大きなショック
を受けた。


まず、英語が本当に分からない。
ロサンゼルスの学校の先生は建築の先生
なので話す言葉は当然英語それも早口。

次に困惑したのは食べるもの。
現在は日本食がブームでロサンゼルスにも
日本食のお店が立ち並び手軽に安く日本食
が食べられるが1997年のロサンゼルスには
日本食のお店はあまりなく当然、スーパー
での買い物もアメリカの食文化が軸だ。

そして気候にはまいった。

アメリカのカリフォルニアの1月の気候は、
昼が暖かく(暑いくらい)夜がとても寒い。

そして持ち物や服装の問題。
日本で普通に着ていたコートをアメリカで
着ていてアメリカ人から言われたことが、

「そんなのダウンタウンに着ていくと、
直ぐに身包みはがされるよ!」

ということ。

これだけでも多大なストレスになった。

そこに追い討ちをかけるように文化の壁。

とても勉強してボランティアどころでは
なかった。

身体が心が新しい環境に全く適合出来ない。

それだけ25歳になるまでわたしは生きてきた
これまでの環境にどっぷり浸かりすぎて、
身体も心もカチコチになっていたのが露呈
した。

一言で言えばそれは『依存していた。』


親に先生に会社に豊かな社会の環境に国に
わたしは25年間依存しっぱなしで生きてきた。


神戸から大阪に出て、そして東京に出ても、
結局はどこかで親にそして会社に、そして、
親やおじいちゃんおばぁちゃんの世代が、
必死になって働いてくれて創ってくれた
この豊かな日本という国の環境に依存して
ずっと生きてきたんだ。

そして依存しきったそんなだらけた価値観
じゃいい発想も何も出てくるはずがない。


身体が精神がなまって腐りかけていた。


「ホームレスの為に家を建てる」という、
このプロジェクトを通じてアメリカで垣間
見た世界はあまりにも未知な世界だった。


完全に打ちのめされてしまった。


まさに【井の中の蛙】だった。


井の中の蛙が大海に出てその広さを知った。

 

 

 


to be continued

SourGrape~すっぱいブドウ~CR074

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覚悟を決めても進まない・進めない。
気持ちが盛り上がっただけで続かない。

やっている事はhave to?want to?
そもそも何の為に何をどうやるの?

その答えは知りたいようで知りたくない。
今の価値観をDelite・削除したくないから。

【見て見ないフリ】でやり過ごし、
やがてニッチもサッチもいかなくなる。

自身をアップグレードしようと、
今やっている事をガムシャラにこなす。

もっともらしい理由を並べ立て人に、
そして自分自身に言い聞かせて、
目の前の機会から逃げ出そうとする。
現状の自分自身を正当化しようする。

そしてそんな状態はとても脆く、
誰かの一言で簡単に崩れ去ってしまう。


1997年1月4日成田発のアメリカ・ロス行き
はわたし自身の中ではもうほとんど固まって
いた。


何故なら、22歳の時に訪れた機会から
逃げ出してその後1年間苦しんだ結果、
住み慣れた大阪から東京に出て来るという
決断をした結果、見通せる世界が広がった
という体験があるから。

もっとも、その後の行動が良くなかった為、
25歳のこの時期に更に大きく壮大な機会と
なって、わたしの前に立ち塞がった。


そしてこの機会から逃げることも容易な事
じゃなく逃げるにも苦労する。

 

逃げる為には今感じている自身の劣等感を
もっと強烈なものにしなければならない。

「どうせ私なんて…」と強く自分に言い聞
かし、自分自身のイメージをもっと矮小な
ものにしていく。

多分、それだけでは逃げられないから次は、
その機会そのものを非難、否定していき、
自己正当化を計らなければならない。

ここまで行けば何とか現状を一時は維持
していくことが出来る。


これを上手く表現したイソップ寓話がある。

それは『SourGrape~すっぱいブドウ~』
というお話。


~『SourGrape~すっぱいブドウ~』


あるところにブドウ好きな狐がいました。
その狐が森を散歩していると、
とても甘くいい香りがしてきました。

見ると目の前に見たこともないような、
美しい色艶の美味しそうなブドウがたわわ
に実っていました。


でも、そのブドウは狐のところからは手が
届かずに取れません。

近くの石に乗っても届きません。
でも甘い甘美な香りが漂ってきて魅力的
に感じていますが食べられません。

そこで狐はこう考えます。

 

 1.僕は今、ブドウは食べたくないんだ。
   と言い聞かせて納得する。
 

 2.僕が食べたいのは実はブドウじゃ
   なかったんだ、イチゴだったんだと、
   自分自身に言い聞かせる。


 3.本当はあのブドウは酸っぱくて、
   美味しくないから食べないんだ。
   とブドウそのものを非難否定する。



22歳の時に訪れた機会から逃げ出したわたし
は見事にこのイソップ寓話の狐の行動を
取っていた。


1.(今は時期じゃない)


→では何時が時期なの?


2.(私がしたいのはそんなことじゃなく、
本当はこれがしたかったんだ)


→では何故?心を惹かれたの?


3.(それは・・・あの機会はよくない
機会だったんだ、あれは最悪な機会だ。)


どれだけあざとい詐欺師でも自分自身は
騙しきれないから自分に嘘をついたという
行為と対象となった機会そのものを非難し、
自己正当化を計ったという事実からは、
人は絶対に逃げられない。

その代償として人は自信を失い劣等感を
抱き、解消しない限り自信喪失と劣等感は
時が経つにつれどんどん肥大化していく。

25歳のわたしはまさにこの悪循環にはまって
悩み苦しんでいた。


そんな劣等感まみれの価値観で導き出した
方向性の正体は自身の存在を認めてもらう
為の劣等感の解消の為の淡い欲望だ。

そんなものは正しいはずもなく更に苦しむ。

この時のわたしにはこの事が痛いほど分かっ
ていた。だから周りから色々アドバイス
受けても、もう逃げようとは思わなかった。


何故なら逃げた後の苦しみはもう十分な程
体験したからまた同じ苦しみを味わいつつ
この先の人生を生きていく事なんて絶対に
したくは無いから。

だけど、25歳のこれまで逃げ続けたわたしの
価値観ではどうやればいいか分からない。

そして現状をアップグレードするという、
現状維持の強化をすると苦しくて辛いと
いう事も体験済みだ。


だったら残された選択肢は一つ。


それは【立っている場所を変える】という
こと。


今、立っている場所では進みたい未来が、
見通せないなら立っている場所を変える
必要がある。


その方法が現状の延長線上にはない
未来を選択をするということだ。


それが25歳のわたしの場合は、
アメリカに行く』だった。


その先にはどんな困難が待ち受けているか
今は知らない。

でも、この時のわたしには何も怖いものは
無かった。

何故なら、機会から逃げ続ける人生のほう
が何倍も何十倍も怖く辛かったからだ。

そして1997年1月4日の成田発のアメリカン
エアラインでわたしはアメリカに旅立った。

 

 

 


to be continued

 

もう逃げない唯一の選択肢CR073

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『覚悟』を決めても進まない・進めない。
気持ちが盛り上がっただけで続かない。

やっている事はhave to?want to?

そもそも何の為に何をどうやるの?

その答えは知りたいようで知りたくない。
答えを知って変化を受け入れてこれまでの
価値観をDelite(削除)したくないから。

そして【見て見ないフリ】でやり過ごし、
やがてニッチもサッチもいかなくなる。

で、自身をアップグレードしようと、
今やっている事をガムシャラにこなす。

やっとやるべきだった事に巡り会えたかの
如く、もっともらしい理由を並べ立て人に
そして自分自身に言い聞かせて、目の前に
現れた出来事から逃げ出そうとする。

自分にとって不都合な事柄から逃げ出す。

それがあどけない中学生の女の子の一言で
我に返りそこから動けなくなってしまった。

そしてまた、「同じことの繰り返しだ…」
と、カフェでボーッとしていた時、

テーブルの上に置いていた新聞のある広告
が目に留まった。

それは求人広告だった。


求人広告といってもただの求人広告では
なく、【ボランティアの求人広告】だった。


それも、日本ではなくアメリカでの活動だ。

内容はロサンゼルスでホームレスの人達の
為に家を建てるというボランティア。


家を建てる?

ロサンゼルス?


25歳のその時まで一度も海外に行った事が
ないわたしに取っては全くの未知の世界に
思えた。

ただ、何故かその求人広告がとても気に
なってその部分を破いてポケットに入れた。


そこから数日経ってもその求人広告が
どうしても頭から離れない。


そこでわたしは思いきって応募する事にした。


心の中では「どうせ採用されないよ。」と
思っていたし、気持ちは気楽だった。

ただ反面、どこかでは言葉に出来ない、
淡い期待感も秘めていた。

そしてそのボランティアを主催している
会社の面接を受け採用されてしまった。


それが、1996年11月中旬のこと。

そして1997年1月4日にはアメリカに旅立つ
という事になった。

そこから数年間はアメリカのロサンゼルス
でホームレスの為に家を建てるという、
ボランティアに従事するという内容だ。

その間の住む場所や食費はその会社が支給
してくれるという。

この通知を受けた1996年11月中旬から
1997年の1月4日の出発の日までわたしは悩み
考え抜き、本当にどうにかなりそうだった。


以前、居酒屋で相談した旅行会社の3つ上
の先輩に話したら、


「絶対に止めておいたほうがいい。」

「住むところと食べるものを支給されて
も薬とか他のものはどうするの?」

「わたし君はもう25歳で来年26歳でしょ、
そろそろ落ち着いたほうがいいと思うよ、
身を固める為にもちゃんと仕事したほうが
賢いよ。」

と諭された。


その当時付き合っていた彼女や、
友人や知り合いにも相談した。


アメリカに行ってどうするの?お給料
出ないボランティアって何それ?」

「そもそもわたしに家なんて建てられない
でしょ?英語だってちゃんと喋れるの?」

「せっかく、旅行の仕事をする為に東京に
出てきてどうしてアメリカなの?」

と、皆から猛烈に反対された。


皆、わたしの事を思ってくれているんだ…と
感じたがこの時のわたしの耳にはどんな言葉
も、もう空々しく聞こえた。


『結局、現状のままどうあがいても何も
変えられなかった。』

『気持ちが苦しいままで成長も何も、
出来なかった。』

『いろいろ自分自身を説得する為に言い聞
かせてきたがそれってやっぱおかしい』


どこか根本的な何かが間違っているんだ。


そこまでは分かったが、いったい、
何が間違っているのかが分からなかった。


だけど、今立っているこの場所では、
それが見えないんだ。


だったら、場所を変えるんだ。


今の現状を打ち破り、新しい価値観を手に
入れるには場所を変えるしかない。


それは見えている世界が低く狭すぎる為に
問題が生じているわけだから、単純に考え
世界を高く広く見る必要があるんだ。


25歳のわたしが苦悩して苦労して手に入れた
唯一の解決策がこの、

【立っている場所を変える】ということ。


この考えは既に一度わたしは23歳の時に実践
ずみだった。

それは、22歳の時に逃げ出した出来事が
苦しくて先が見えなくなってしまい、当時、
立っていた場所を大阪から東京に変えて、
世界が少し広がったのだ。

ただ、そこからの取り組みが良くなかった
為にまた25歳になって目の前に現れたその
出来事を対処療法的なテクニックで処理を
しようとして打ちのめされてしまった。

だから、もう対処療法的な処置は効かない。


自分自身が痛みを感じずにこの出来事は
とても処理できない、だったら、痛みを
伴う覚悟で望んでいかなければいけない。

 

【今いる場所で見えないモノを見るには
単純に考えて見えるように場所を変える】


【その場しのぎの対処療法では一時は
しのげても確実に後で問題は大きくなる】


【目先の安堵感に捕われるとその先にある
のはより大きな恐怖感と絶望感だ】

 

パスポートも取ったし、
スーツケースも買った。


もう、後には引けないな・・・

 

 

to be continued

同じことの繰り返しCR072

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『覚悟』を決めても進まない・進めない。
気持ちが盛り上がっただけで続かない。

やっている事はhave to?want to?

そもそも何の為に何をどうやるの?

その答えは知りたいようで知りたくない。
答えを知って変化を受け入れてこれまでの
価値観をDelite(削除)したくないから。

そして【見て見ないフリ】でやり過ごし、
やがてニッチもサッチもいかなくなる。

で、自身をアップグレードしようと、
今やっている事をガムシャラにこなす。

やっとやるべきだった事に巡り会えたかの
如く、もっともらしい理由を並べ立て人に
そして自分自身に言い聞かせて、目の前に
現れた出来事から逃げ出そうとする。

自分にとって不都合な事柄から逃げ出す。


それがあどけない中学生の女の子の一言で
我に返りそこから動けなくなってしまった。


添乗員としての仕事中のディズニーランド
でそんな状態になったわたしはその後の仕事
を全て放棄してその瞬間、その場所から
逃げ出してしまった。


あの時の感情は全裸でその場所に立って
いるよりも、恥ずかしい癖がばれた時
よりもついていた嘘が暴かれた時よりも
そんな些細なこと全てより強烈に、
恥ずかしくて消えてしまいたいような
そんな感情だった。


何ていうか全てを見透かされたそんな感じ


翌日から入っていた旅行の添乗員の仕事を
全てキャンセルして、アルバイトも休んだ。


でも、嘆き落ち込むというより、
何も思わない考えない無思考な状態だった。


そしてまた、住んでいるアパートの近くの
JR大久保駅前のカフェで時間をつぶした。


その時、人ってこんなに何も考えられなく
なるんだと感心するほどに、一切何も、
頭の中に考えが浮かばなかった。

先輩から受けたアドバイス通りに、
目の前にある事にガムシャラに取り組んで
みたけど、その日々はただ苦しく我慢して
ただけの毎日だった。

自身がやっている事を正当化する為に必死
でもっともらしい理由を並べ立てて。


『何てみっともないんだろう…』


また、意識が内側を向いていた。

ガムシャラに頑張ったけど、わたしの行動は
人に嫌な気分を味あわせただけだ。

旅行のお客さんに取っても力任せに仕事を
している添乗員だと楽しくない。

そうなると旅行会社にも迷惑がかかる。

観光地もホテルもお客さんが楽しめて
いない状態ではまた来てもらえない。

そして当然、わたし自身も苦しく楽しくなく、
僅かな金銭を手に入れて身をすり減らした。


この時にわたしのとっていた行動は誰も幸せ
にしていない。

そしてまた、カフェでボーッとしている。


『同じことの繰り返しだ・・・』


やっぱり、対処療法的な行動では
上手くはいかないものだ。


今の苦しみや迷いから抜け出す為に、
今ある環境で今までやって来た事や
出来る範囲の事柄を一生懸命にやると
いう行為は、もの凄く効率的に、
高い効果を上げて早いスピードで、
間違った場所に到着してしまった。


何故なら、その行為には何の創造性も
戦略性もなく、ただ目の前の出来事から
逃げ出す為に感じた感情から逃げ出す為
だけに行っただけだからだ。


『これじゃ何の成長もないな・・・』
『また繰り返した・・・いつかと同じだ』

 

実は25歳のわたしはこの時に少し
客観的に自分自身を見ていた。

それは、わたしが22歳の時に同じような体験
をしてその時も同じような感情になった事
があったのだ。

それは目の前に自分自身が大きく変化、
そして成長出来るキッカケが現れた時だ。

22歳の時はそれがとてつもなく不安に感じ、

「とても出来るわけがない」
「今の状況では無理だ」

と、そんな風に感じて逃げ出していた。

そして、22歳の時に大きな不安を感じた、
その出来事から3年間逃げ続けて来た。

25歳のわたしに訪れたこの機会は、
22歳から3年間逃げ続けて来てそして、
今この時にその出来事は3年の時を経て
更に大きくなって、ハッキリと、
わたしの前に立ちふさがった。


そしてわたしはもっともらしい理由と、
責任転換をしながらまた、
その出来事から逃げ出そうとしていた。

 

【何かを正当化した言動をするそんな時は
いつも何かから逃げている時】


【一度、逃げた経験があると、
知らず知らずの内に逃げ癖がついている】

 

また、苦悩の日々が始まるのか・・・


と思ったそんな時、

 

 

 

to be continued

 

世界が止まったかのようにCR071

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『覚悟』を決めても進まない・進めない。
気持ちが盛り上がったのに続かない。

やっている事はhave to?want to?

そもそも【何の為に何をどうやっていくの
か?】を考える。

その答えは知りたいようで知りたくない。
答えを知って変化を受け入れてこれまでの
価値観をDelite(削除)したくないから。

そして【見て見ないフリ】でやり過ごす。

やがてニッチもサッチもいかなくなる。

で、自らをアップグレードする必要がある
ということに気づき、今やっている事を
ガムシャラにこなしていく。

まるでやっと本当にやるべきだった事に
巡り会えたかのように自身に言い聞かせる
ように聞かれてもないのに他人に話したり
して。


そしてある日そんな感情がプツンと糸が
切れるように音を立てて切れてしまった。


それは確か、1996年の10月だったと思う。


修学旅行の添乗員として仕事をしている
そんな最中の出来事だった。

3泊4日の仕事で、最初に福島県郡山市
出向き、現地の旅行会社で打合せをして、
そのまま近くのホテルに宿泊して翌朝に
福島県郡山市の中学生達と修学旅行に
出かけた。

初日は横浜に行きヒルトンホテルに宿泊。
二日目は東京観光で上野動物園に出向く。

そして最終日の三日目にはメインの、
東京ディズニーランドで終日過ごすという
プランが組まれていた。

そんな東京ディズニーランド福島県
中学生の子達と遊んでいた時にある一人の
女の子がこんな事を聞いてきた。


「添乗員さんは何故?添乗員さんになった
のですか?」


あどけない中学生のこんな質問に、
わたしは言葉に詰まってしまった。


『何故?添乗員になったのか?それは…
日本中に行きたかったから…でも、
その願いは既に叶っているし…では、
何故?今も添乗員を続けているのか?』


『生活していくため?』


そんな答えを人として次の世代に渡して
いいんだろうか?


様々な答えが頭を巡ったが、
それらはすべてが言い訳だった。


実はこの時すでにわたしが旅行の添乗員を
やり続ける目的は無かった。


ただ、自らをアップグレードする為にと
いう言い訳を自身に課してやっていた。

そして、

【添乗員をやり続けなければいけない】

という焦燥感に捕われていた。

それはせっかく東京に出てきたという事や、
途中で投げ出すことは人間失格という指摘、
生活していく為には我慢して労働する必要
があるという指摘、

そしてこれらを覆い隠すように聞かれても
いないのに他人に自身がやっている事を
正当化させるべく喋り捲っていた。

必死になって自分自身を騙していた。


けど、どれだけあざとい詐欺師でも、
自分自身には嘘はつけない。


そして自分自身に嘘をつき続けるという
行為は様々な弊害をもたらしていく。


それは、

自分に自信が持てなくなる。
そしていつも劣等感を抱えてしまう。


わたしはこの時点では過去に生きていた。
正しくは過去に縛られて生きていた。


昔、抱いた淡い欲望に縛られて、
遠い過去に生きていた。


そんな人間は今を生きていない。


『日本中に行きたい』という淡い欲望。


大昔に見たその淡い欲望にしがみつき、
様々な事を【見て見ないふり】をしながら
生きてきた。

巡ってくるピンチやチャンスから、
もっともらしい理由をつけて逃げてきた。


そして今回もガムシャラに事をこなすと
いうチカラ技で逃げ出そうとしていた。

その責任を先輩のアドバイスにどこかで
なすり付けていた。


そんな時、ある中学生の女の子からの

「添乗員さんは何故?添乗員さんになった
のですか?」という質問が逃げ出そうと
していたわたしの足を止めた。


その瞬間、世界が一瞬止まったように
感じてそこから一歩も動けなくなった。

 

 

 

 

to be continued

 

現状をアップグレードすると…CR070

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『覚悟』を決めても進まない・進めない。
気持ちが盛り上がったのに続かない。

やっている事はhave toかwant toなのか?

そもそも【何の為に何をどうやっていくの
か?】を考え始めた。

その答えは知りたいようで知りたくない。
答えを知って変化を受け入れてこれまでの
価値観をDelite(削除)したくないから。

そして【見て見ないフリ】でやり過ごす。
やがてニッチもサッチもいかなくなる。

で、自らをグレードアップする必要がある
ということに気づく。


「でも、どうやって?」


25歳のわたしにとってこれまで自らを、
アップグレードさせたという経験などない。


そこでまず取った行動が仕事場の先輩に
相談するという行動。


「実は今、このままカラオケでバイトを
しながら派遣で添乗員を続けていく事が
果たしていいのかどうか悩んでいます。」

と、居酒屋で相談した。


その先輩、名前はもう忘れたが28歳で、
当時のわたしより3つ上で既婚者でお子さん
が一人いらっしゃった。


先輩からはこんなアドバイスをもらった。


「わたし君は何の為に東京に出てきたの?
旅行の仕事をする為だって言ってたよね
?だったら悩む事に時間を使うより、
ガムシャラに働いてみたらどうかな?」

「国内旅行の添乗も数をこなせばコツが
つかめてくるし国内旅行で経験を積めば、
海外旅行の添乗の仕事も与えてもらえる
。そうなったら日当が国内旅行の6,000円
から8,000円に上がるよ。」

「そして3~4年も頑張れば、契約社員
なって給料も毎月14万5千円もらえる。」

「好きな仕事で生活出来る事を考えたら、
少しぐらい嫌なことあっても辛抱しないと
ダメだと思うよ、わたし君、こらえ性が足り
ないんじゃない?」


照明が明々と照りつける安っぽい居酒屋
で安っぽいグラスに注がれた味の薄い酒と
さっきまで冷凍されていたカラアゲを
つつきながら、話を聞いた場面(シーン)
を今でも鮮明に覚えている。


『そっか…確かにわたしは旅行の仕事を
する為に東京に出てきて大学にも通い
ながら今まで頑張ってきたんだ。』


『なまじっか悩むのは、先輩の言うとおり
ガムシャラに仕事をしていなかったせい
だったんだ。』


『もっと頑張らないといけないなぁ…』


そう受け止めて翌日からまた派遣の添乗員
とカラオケのバイトに精を出した。

そして忙しさの中に一時はこれまで感じて
いたモヤモヤした感情は姿を潜めていた。


わたし自身も、『なんだ一時の気の迷いだっ
たんだ。』と、そう思うようになった。

そしてその事を裏付ける為に、
友人や周りの知り合いに、わたしが何故?
派遣で旅行の添乗員をやりながら、
夜はカラオケボックスでバイトをしている
のか?その理由をこうこうと説明した。


大阪に住んでいる友人にも旅行添乗員の
仕事の辛さや楽しさや東京での暮らしに
ついて頑張っている現状を事細かく喋った。

『わたしは今、旅行の添乗員として頑張って、
自らをグレードアップしているんだ。』


『大変でほとんど寝る時間も無いけど、
日々すごく充実している充実してるんだ、
本当に東京に出てきてよかったよ。』


『旅行の添乗員になって本当によかった』

『もちろん大変な事も多いよ、
旅程表を前日もらって、
旅行参加者に確認の電話入れて、
泊まるホテルやバス会社に電話を入れて、
羽田空港から6時に出発の飛行機に乗る
から、羽田空港に5時前に行かなくちゃ
いけないんだ。朝寝坊だったわたしには
かなりキツイけどやりたいことだから、
とても充実しているんだよ。』

『東京の暮らしも楽じゃないよ、
家賃も高いしね、人も冷たいよ。
でも、専門学校に行って、大学まで
入ってやりたかった旅行の添乗員が
出来ているからとても幸せなんだ。
派遣でもいいんだ、頑張ればその内に
契約社員なれるかも知れないんだ。』


『わたしは東京に出てきてとても成長した
よ。大阪に居た頃とは大違いだよ。』


この時のわたしは何度も何度も事細かく、
自分自身がやっている事について説明し、
その後にもの凄くポジティブなワードを
くっつけていた。


まるで自分自身にそう言い聞かせるように。


親にも彼女にも友達にも知り合いにも、
聞かれてもいないのにひたすらこんな事を
喋り続けていた。

 

そして4ヶ月ほど経ったある日、
そんな感情がプツンと糸が切れる
ように音を立てて切れてしまった。

 

 

 

 

to be continued