川村 みきをのメモ帳

日々のアウトプットをメモっています。

似ている二つの事柄CR065

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『覚悟』を決めても、
なかなか先に進まない・進めない。

あれだけ気持ちが盛り上がったのに…
何故だろうか続かない。

やっている事はhave to…?want to…?

そもそも、
【何の為に何をどうやっていくのか?】

でもこの思考を持ち続ける事は25歳のわたし
には耐え難い苦痛だった。


何故か?


それは自分自身がこれまで持ち続けてきた
価値観そしてその価値観から生み出された
欲望など自分自身を支配しているその根底
を自らが破棄していくことになるから。

 

あなたにクリエイターの資質が
備わっているならこの苦悩はある事に
似ていると感じるだろう。


それは作品の制作時に過去に作った作品を
超える作品を創ろうともがいているとき、
過去に作った作品をDelite(削除)して
制作の感覚をニュートラルに設定するあの
感覚だ。


もっともこの過去の作品をDelite(削除)
して新しい作品を生み出すことが出来ない
人のほうが多く出来る人は少数なんだけど。

 

まぁそれはわたし自身も同じだった。
これまでの制作実績を誇らしく
掲げていたそんな時期も長くあった。


つまり、

【何の為に何をどうやっていくのか?】

に対して思考を張り巡らせるということは、
イコールこれまでの価値観そして、
その価値観から生み出された欲望をDelite
(削除)することに他ならないのだ。

だから苦痛を伴う作業ということになる。

 

わたしは高校3年生の時に日本中、世界中の
いろいろな場所に行くことに憧れた。

そして一旦、就職して働いたが、やっぱり
その憧れは捨て去ることが出来ず、
1年も経たないうちに仕事を辞めて、
日本中の世界中のいろいろな場所に行く
方法について考えた。

そして二つの職業が選択肢に上がった。

一つが商社マン、
もう一つが旅行の添乗員。


そして身近に感じた旅行の添乗員に
なるべく、旅行関係の専門学校に通う
という道を選んだ。

そして二年間旅行の専門学校に通って勉強
したが、結局そこで自身の無力さを知る事
になる。

次にとった行動は【英語】を学ぶ為に
東京の大学に入るということ。

それは世界の国に出向いたときに【英語】
が出来ないとコミュニケーションが
取れないからというのが理由だ。

そして上京と同時に派遣スタッフとして
旅行の添乗員の見習いを始めた。


そう、いろいろと旅行の仕事というものに
ついて教えてもらおうと思ったからだ。


だけど、現実はそんなに甘くはなかった。

3日間の僅かな研修期間、それも実際に
旅行に出かけて添乗研修ではなくオフィス
でお話を聴いただけでその翌日には、
一人で団体客のツアーに添乗員として
乗っていた。


そこですぐに直面したのは理想と現実の差。


あまりにも甘く大甘な考えだったという事
を知った。

当たり前といっちゃ当たり前なんだが、
1980年代の日本みたいに経済が順調で、
若い子達は宝物といった風潮はとっくの
昔に消えてしまっていたのだ。

どこの世界にお金(給料)を払って、
仕事のやり方を教えてくれる会社がある?

どこの世界にお金(給料)を払って、
旅行を楽しませてくれる会社がある?


こんな当たり前の事にやっと気づいた。


だけどわたしはこの時、既に上京している。

その目的は日本中・世界中の様々な国々の
いろいろな場所に行くこと。


そもそもこの価値観自体が間違っていた
わけなんだが、25歳のわたしはこの事を
認めたくない。


だって大阪の友人にあれだけ偉そうに、
『ワシ、東京をキッカケに日本と世界を
見て来るわ!』とカッコつけて来たのだ。


今更、

「すみません僕、間違っていました。」

「日本と世界を見ようと思って旅行の
添乗員になったのですが、添乗員として、
いろいろな場所に行っても全く景色も
楽しめませんし、同じ場所に何度も行く
から直ぐに飽きちゃうのです。」

「そもそも、日本と世界を見たいって
いうこのこと自体が意味を持たないかも
って思えてきちゃって・・・」

「僕、どうしたらいいでしょう・・・」

そんな事は言えない、言えるわけがない。


頭をもたげるのは、
【何の為に何をどうやっていくのか?】
という思考。

でも目の前にあるのは日々の仕事。


人は同時に二つの価値観を持ちながら、
生きる事は出来ない。


だから自分自身がやっている事に疑問を
抱くことは苦痛になるのだ。

 

 

 

 

to be continued